煌々と照り付ける太陽の下、一隻の軍艦は帆を張り大海原を進み続けていた。穏やかな波を切り裂きながらも船首は前へと進む。その甲板の端に寄りかかりながら、ヘルメッポは目の前に広がる水平線を眺めていた。
海風にブロンドの髪を揺らし、現在は電伝虫の受話器に耳を傾けている。
『だから、今日は帰れそうにないかも……』
「あーはいはい、ま、しょうがねェよな」
『せっかく会える日だったのに……』
そう言うと受話器越しの声が、あからさまに残念そうな声色へと変わった。その素直さに思わず吹き出しそうになりながらも、ヘルメッポは口角を上げ軽快に笑う。
「ひぇっひぇっ、まあ、ケツの心配をする必要がなくなったから助かったぜ」
『……もー! またそんな冗談ばっかり!』
電波の向こうで呆れたように怒る声が響く。冗談を言ったときのその反応が面白くて、ヘルメッポはまたくつくつと喉を鳴らして笑った。
「へいへい、無事で帰って来いよ。んじゃあな」
そう言って、ヘルメッポは通信を終えた。ふうと大きく息を吐きながら首を回すと、ゴキゴキといい音とともに肩の力が抜けたのを感じた。
定時連絡という名目で先ほどの声の主―――コビーと毎日のように通信をしているが、任務ついでにプライベートなことも話すようになり、なんだか最近は半分惚気通話にもなってきているような気がする。
今は叱咤する上司も船には居ないしちょっとくらいは構わないだろうが、電伝虫が通信傍受されてたら完全に終わるな、とヘルメッポは苦笑いを浮かべながら受話器を置いた。
しかしまあ、あっちのほうも大変なんだな、とヘルメッポは同情した。
先ほどのコビーの声色からは危機感を感じなかったので大丈夫だとは思うが、せっかく互いに取れる休みの予定だったのに少し残念だ。
だが、コビーが無事ならそれでいい。ヘルメッポは再び水平線を眺めると、その向こうにいるであろう恋人に想いを馳せた。
「少佐」
「おわあッ!!」
背後から声がして、完全に油断していたヘルメッポは思わず飛び上がった。
慌てて振り返ると、そこには今回の任務で船に同乗していたヘルメッポ直属の部下がそこに立っていた。見慣れた顔に安堵すると同時に先ほどのフザケた通信を聞かれたのかと戦々恐々としたが、素知らぬ彼は淡々と報告を続ける。
「現在、進行方向に異変ありません。定刻通りに本部へと帰還できるかと」
「は、そ、そうか。じゃあ予定通り頼むぞ」
そう言ってヘルメッポは、何事もなかったかのように手すりに体重を預けた。
「わかりました。あの……少佐」
「何だ?」
「こちらは進言などではなく、わたくし個人の意見なのですが……」
部下からの言葉にヘルメッポはドキリとした。あ、お叱りでも食らうかな。やはり先ほどの会話を聞かれてて、気を悪くさせていたかもしれない。部下から言われるとは情けないな、と冷や汗が背中を伝ったが。次に出る言葉は思いもよらないものだった。
「そろそろ仮眠を取ったほうがいいと思われますが、どうでしょう? わたくしの見る限り、少佐、暫く寝ていないように見えますが……」
あ、そうか。意外な忠告に一瞬呆けてしまった。どうやら先ほどの電話を聞いて何かを察したのでなく、純粋に自分を心配しての発言のようだ。
確かに言われた通り、任務に追われて最近はあまり睡眠を取れていなかったなと気がついて、ヘルメッポは自然にひとつ欠伸が漏れた。
「ん、ああ、そういえばそうかもしれんな。わかった。んじゃあちょっとだけ篭もらせてもらうわ」
「了解です!」
「あとよろしくな」
「はっ!」
快諾する部下に敬礼で見送られながら、ヘルメッポはそのまま甲板から艦内へと入っていった。
船員のための仮眠室は軍艦内部の船底、つまりは機関室の隣にある。二十平米ほどの空間の中に簡易的な二段ベッドが二つずつ設置されている。古い型なので近くで稼働している動力室の音が多少耳障りだが、ひとまずは最低限度のライフラインは確保されている。
ベッドが四つあるが、今は誰もいないようだ。着ていたコートを放り出すと、ヘルメッポはすかさず近くのベッドへと身を沈めた。
固いマットに横たわると、どっと疲れが押し寄せた。自分では気丈に振る舞っていたつもりだったのだが、やはり連日の任務は体に堪える。それに加えてコビーにも会えない寂しさが同時に押し寄せ、ヘルメッポはふうと息を吐いた。
最近は別々の部隊に配属することも多く、会う機会はすっかり減ってしまった。こうして通信をして互いの安否確認はとれるのだが、やっぱり直接会ってあの太陽のような笑顔と元気な声を聞きたい。しばらく会えていないせいか、ヘルメッポはなんだか無性に恋しくなってしまい枕に顔を埋めた。
しかし今は任務中だ。そんなわがままを言っていられる立場ではないし、そもそもコビーだって任務で忙しいのだ。なのでしょうがない、今は我慢するしかないのだ。そう自分に言い聞かせて、少しでも疲れを取ろうとヘルメッポはぎゅっと目を閉じた。
しかし、……眠れない。身体は疲れ切っているハズなのに、意識が中途半端なところで揺蕩ってしまい、ふわふわとした心地で入眠と覚醒を繰り返す。
いつものベッドじゃないから眠れないのだろうか。とは思ったが、いや、そんなことはない。寝袋や床、なんなら野宿も経験したヘルメッポにとっては楽勝な部類だと思っていたのだが、なんだか妙に寝付けない。
規則的なエンジンの音が、余計に眠りを妨げる。このまま永遠に眠れないままなんじゃないかと一抹の不安を覚え、寝返りを一つうつ。
いや、違う。ヘルメッポはようやく気がついた。これはいつものベッドではないからとかではなく、コビーがいないからだ。己がそう自覚した途端、なんだか無性に切なくなってしまいヘルメッポは思わず唇を噛んだ。
会いたい。会って抱きしめたい。唇を重ねて、そのぬくもりを感じたい。笑っちまうくらい純朴な口説き文句でまんまと誘われて、ベッドの上で身体を重ねたい。
こんなこっ恥ずかしい本音、恋人との密な空間ですら言ったことがないのに、一人不安に襲われたときに限って堰を切ったように出てきてしまう。ヘルメッポはそんな自分の思考回路に、さらに羞恥を煽られた。
そうしていると次第に下腹部が締まり、反応を示す。そういえば暫くしてなかったな、とヘルメッポは起き上がった。ズボンを下ろすと、下着越しにもわかるくらい陰茎が勃起していた。布一枚隔てているとはいえ、その刺激に思わず腰が引ける。
しかし一度熱を持ってしまったものはそう簡単に治らない。どうせ眠るだけなんだから自慰に耽るのもある種自然な流れだとは思うが、目の前の扉がそれを躊躇させていた。
鍵が無いのだ。仮眠が目的なのでプライベートな配慮に基づいたモノは一切設置されていない。つまり、この扉は誰がいつ入ってくるかわからない状況だ。別に自慰くらい見られても恥ずかしくはないのだが、仮にも任務中、人によっては幻滅する人もいるだろう。
いや、やはり、恥ずかしいかもしれん。ヘルメッポは目の前の陰茎どころか、己の下腹部の内側からも発し始めた熱に、さらに顔が紅潮する。タイミングが悪ければ、最悪の痴態を晒すことになってしまうかもしれない。
しかし一度熱を持ってしまったものは、もうどうしようもないのだ。それにこのまま放置しては、それこそ眠れなくなってしまうだろう。
ちょっとの間だからな、とヘルメッポは自分に言い聞かせて、扉に重めの積み荷を噛ました。
うつ伏せになり、膝を立て枕に顔を埋める。ズボンのベルトを緩めてゆっくりとずり下ろすと、赤く染まった己の陰茎が顔を出す。張り詰めたそれを下着越しに軽く撫でると、それだけで腰が引けてしまう。
布一枚隔てているとはいえ、その刺激はあまりにも強い。しかし一度火のついた情欲は収まることを知らない。ヘルメッポはゆっくりと下着を下ろし、外気に晒された陰茎を握り込む。
「んっ……」
思わず声が漏れる。久々の刺激にじんとした感覚をおぼえつつも、それでもゆっくりと上下に扱く手は止まらないでいる。
「はっ……ん……っ」
徐々に息が上がってくるのがわかる。先端から溢れる先走りが滑りをよくしてさらに快感が増していく。その気持ちよさに夢中になるあまり、つい声を抑えることを忘れてしまう。
「ん……!」
いかんいかん、焦り過ぎは禁物だ。枕に顔を埋め、声のボリュームをなるべく落とす。誰かに気づかれたら終わりだ。あくまで静かに、と思い直し、再び陰茎を握り込む。
「ふ……、んんっ……」
先ほどの刺激で敏感になったそこは、擦るだけで快感を享受してしまう。そっと上下に扱くと、思わず鼻から息が漏れ出てしまう。その最中にも頭の中に湧き出ているのは、もちろん恋人のコビーとの情事だ。
日々の鍛錬で厚くなった手のひらと、骨ばった指。昔は子どもみたいな手だったのに、すっかり自分とそう変わらなくなった指を想像して、胸が熱くなる。
その手が、指が、自分のそれを握り、扱いてくれるんだ。コビーがどうやっていたのかを想像しながら自身を擦ると、興奮で思わず腰が動いてしまう。
妄想が高まると、ナカもだんだんと熱を持ち始める。一旦扱く手を止めると、もう一つの手を先走り液で満たし、中指を下腹部の秘部へと伸ばす。
最近は、こちらのほうもクセになっている。前だけの刺激で満足していたはずなのに、コビーに責め立てられているうちに、今ではすっかり後ろも弄らないと物足りなくなってしまったのだ。
「は……あ、っ……」
ゆっくりと中指を挿入する。久しぶりの刺激に思わず腰が引けてしまうが、それでもなんとか根元まで埋め込むことができた。
そのままナカで指を動かすと、ぐちゅぐちゅという水音が響く。その音がさらに興奮を高めていき、自然と指の動きも速まっていく。
「あっ、あっ、はあ……ん」
恋人に見られているわけでもないのに、ヘルメッポの口からは喘ぎ声が漏れる。だがここには誰もいないのだから大丈夫だと自分に言い聞かせ、行為を続ける。
こんな姿、部下たちが見たら卒倒するだろうな。同じ軍艦内で上司がまさかこんなことをしているだなんて思いもよらないだろう。
指を増やし、ソコの大きさに近くなるとさらに興奮が高まる。コビーに前からも後ろからも責め立てられる妄想をしながら、目の前の陰茎も扱く速度を早める。段々と限界が近づいてきて、腰が引けてくる。
しかし、ここで手を止めるわけにはいかない。コビーに抱かれているときのようにナカのしこりを重点的に責めると、ヘルメッポはついに絶頂を迎えた。
「ん……あ、ああっ!!」
勢いよく飛び出した精液がベッドを汚す。その解放感にヘルメッポは脱力した。はあはあと肩で息をしながら、ゆっくりと陰茎から手を離す。
久しぶりの自慰だったせいか、いつもよりも量が多くて濃い気がする。しかし一度達してしまえば、先ほどまで感じていた熱は治まってしまうものだ。
暫く茹だっていた頭を冷やし、バレないように後処理をしなければ。ヘルメッポがそう思った直後だった。
その瞬間、ぐらり、と船体が大きく揺れ、体制を整える間もなくヘルメッポはベッドから叩き落された。脱いだ服を着直す隙もなく、そのまま身体ごと床に叩きつけられる。そして、さらに追い討ちをかけるかのように船体が大きく傾き始め、その反動でヘルメッポは床をゴロゴロと転がった。
痛い、より先にまずい、という感情が湧き上がった。何が起こったかを判断する前に、今起きている事態に対処しなければいけない。衝撃で荷物の位置がずれ、鍵のない扉はその勢いで無常にも開かれる。
まずい、この先に誰かいたら―――。ヘルメッポは床に這いつくばりながら、慌ててその方向を見る。
「……あ?」
視線の先には―――廊下にいるはずだった電伝虫がいた。
「……予定が変わって、早く帰れそうだァ!?」
『うん、だから今日は予定通り会えそうだよ、……えへへ』
仕方なく通話を取ると、受話器の向こうで弾んでいる声が響いた。―――一瞬揺れた船体も大した問題ではなく、その衝撃で多少荷物が破損した程度で済んだ。どちらかというとその直後に押し寄せてきた船員たちを何とかするほうが大変だったが。
「はいはい、んじゃよかったな」
そんなことはあずかりしらぬ様子のコビーに、ヘルメッポは苦笑しながら相槌を打つ。
『なんで他人事みたいなの!? ヘルメッポさんも嬉しいでしょ?』
コビーの拗ねたような声が聞こえてくる。本当は願ってもないことだが、とはいえここで素直に甘い言葉など、恥ずかしくて吐けるはずもない。
「まあ、確かにな……」と少々ぶっきらぼうに言い淀むヘルメッポの様子に、コビーは嬉しそうに声を弾ませた。電話口でもその様子が容易に想像できて、思わず笑みが零れる。
『あ、今笑ったでしょ!?』
「笑ってねェよ」
『だって声が笑ってるもん』
「ひぇっひぇっ……こっちは波が高くて忙しいんだ。切るぞ」
照れ隠しにそそくさと通話を終えようとするヘルメッポに、コビーが慌てて声をかける。
『待って! あの、あのね、……大好きだよ』
そのコビーの言葉に、脳髄まで痺れるような高揚感が湧き上がるのを感じた。が、そんなことを悟られるわけにはいくまいと必死で平静を装う。
「軍の通話で何話してんですかねェ、懲戒もんですよ」
『あっ、ずるい! ヘルメッポさんだってなんか言ってたくせにぃー! ……待ってるからね』
「……おう」
その声とともに小さく頷くと、今度こそ本当に通信が切れた。
「……ハハッ」
頬が緩んでいるのに気が付いた時には、先ほどまでの疲労感など一瞬で吹き飛んでいた。
ヘルメッポは再びコートを着直すと、再び船の甲板へと足を運んだ。
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