夜明けの霞がほのかに晴れる。赤い煉瓦が血潮のように陽の色を帯びて、冷たい潮風が頬を薙ぐ。
海軍本部といえども殆どの者が眠りにつくこの早朝の時間帯に、一匹のカモメが羽を広げて上空を旋回していた。
ニュース・クーだ。
海軍本部など大規模なところになると一冊ではなく纏めての配送となるため、まるで猛禽類のような大型のカモメが山盛りの麻袋で運んでくる。遠方にいる者や大将など最上階や特定の部屋に居る者は別なのだが、その他の海兵たちはこの袋の分から回し読みするような形になるのだ。
ポストにも入らないので、大抵はドサッと置いておいてその場にいた適当な回収班が回収するだけなのだが―――今日はその場所に、一人の人間が立っていた。
早朝なのに白い立派なコートを身に纏い、マフラーを靡かせる若い将校の男―――コビー大佐は、いつになく真剣な表情をしながらニュース・クーが到着するのを待ち続けていた。
「お疲れ様」
予定通り麻袋を受け取ると、コビーはカモメにチップ代わりのベリーを二粒渡して帰港させる。それから急いでガサガサと袋の口を開け、中から目当てのモノを取り出した。
「……よし」
”号外!”と見出しのある新聞を一つ取り出すと、コビーは満足そうに顔を綻ばせた。
新聞を抱えてスキップして廊下を歩いていると、その反対側から人影が見えたのでコビーは慌てて新聞を隠して姿勢を正す。
しかし、その相手が自らの相棒のヘルメッポだとわかるとホッと胸をなでおろした。
「こんな朝からえらくご機嫌だな」
皮肉たっぷりに言いつつヘルメッポは一つあくびをした。どうやら深夜見回りの途中らしい。
連勤続きで疲れていそうにもかかわらず、コビーはそんなもん関係ないとばかりに興奮した口調でまくし立てた。
「ヘルメッポさん、ちょうどよかった。手伝ってほしいんだけど、時間ある?」
「あ?」
きょとんとするヘルメッポの手を掴み、コビーはキラキラした目で新聞を見せつけた。
◇
本部のとある執務室に、ペラペラと紙を捲る心地よい音が響く。
「……まあ、お前が麦わらのヤローのことを好きなのは知ってる」
眉を顰めながら、ヘルメッポは呆れた口調でそう答える。
「んで、今日がニュース・クーで麦わらたちの懸賞金を発表する、お前にとっては念願の日だということも。……大変に気に食わねェが」
そう言いながら睨む視線の先には、麦わらの一味の懸賞金の記事がでかでかと載っていた。
「そしてお前が懸賞金のページを全てサルベージしてるのも、知ってる。んで今、それを切り取る為の刃物が必要なことも」
スーッ、と紙の切れる軽快な音が執務室に響く。
「……だけど……だけどよ」その軽快さとは裏腹に、ヘルメッポは大層不満な様子で声を荒げた。
「おれのククリ刀でやらなくてもいいんじゃねェか!? コビーさんよォ!!」
執務室にヘルメッポの悲痛な叫びが響き渡った。
コビーの手元には、ヘルメッポがいつも腰元にぶら下げているククリ刀が握られている。
「ちょっと喋らないでくださいよ! 手がブレちゃうから!」
反論するコビーに対し、ヘルメッポは尚も不満そうに反論する。
「うるせェ! こいつはおれの血と汗と涙が染み込んだ魂の武器なんだ! こんなチンケな用途に使われてたまるかァ!!」
「チンケってなんですか!! これはぼくにとって神聖で崇高な儀式なんですよ! ちょっとでもズレたら許しませんからね!」
「大体情報出してんの海軍なんだからそっちの手配書を取っときゃいいだろうが!!」
ヘルメッポがそう叫ぶと、コビーは肩で息をしながら呆れたようにつぶやいた。
「わかってないなぁ……新聞に載ったってのが大事なんですよ。そっちもあるけど」
「あるんかい」
もはやそれ情報漏洩だろ、と内心で突っ込みながらもヘルメッポは口をつぐんだ。
「とにかく! ちょっとだけですから貸してくださいよ! 他の人から借りたら怪しまれちゃうんですよぉ!!」
「あーはいはい、もう勝手にしろ、バカヤロー」
ヘルメッポは心底呆れたように、もうどうにでもなれと言わんばかりに腕を組んだ。
その時、窓の隙間風か何か、びゅうと突風のようなものがひとつ執務室に吹き荒れた。
「うわっ!」
コビーが思わず目を瞑ると、手元に広げていた新聞がバラバラに広がっていく。
そのうちの特に大事な一枚———麦わらのルフィの記事が、器用にも扉の下をすり抜けて部屋の外へ出ていってしまった。
「あ、やば……早く拾わなきゃ!」
「ああ!?」
コビーは思わず立ち上がり、廊下へと駆け出した。
見られたら困ると締めておいた扉のカギを外そうとするが、焦りからかなかなか開かない。
「おい、バカ! 貸せっ」
ヘルメッポがカギを開けたその瞬間、体重をかけていたコビーは勢い余って廊下へ倒れこんだ。
「うわっ!! 痛てて……」
コビーが体をさすりながら顔を上げると———廊下の前に、大きな人影が立っていた。
◇
黒髪の、吸い込まれるような目つきが印象的な男だ。互いに面識はない。表情は重く、寡黙で無愛想な印象を受ける。ガタイはコビーやヘルメッポに比べると幾分か大柄で、肩にかけているコートが、彼もまた将校であることを象徴している。
その冷たい視線にコビーが思わず息を呑むと、男は気まずそうに目線をそらした。
「…………」
はらりと新聞が宙を舞い、黒髪の海兵の足元へと落ちる。
男が思わず拾ったその紙には、当然のように麦わらのルフィの手配書がでかでかと印刷されていた。
「あ、いや、これは、違っ、違くてぇ……あのぉ……」
「お、おれは関係ねェからな!」
気が付いたコビーが慌てて弁解をする。背後のヘルメッポに至っては責任逃れとばかりに執務室へ戻り身を潜めてしまった。
気まずい沈黙が空間を支配する。男は眉を顰めたままじっと手配書を睨みつけており、コビーの背中に嫌な汗が吹き出てくる。
何ならいっそ、破って捨ててくれたほうがありがたい。そう思いながらも永遠とも思える時間が二人の間に流れていく。
やがて男が、少しだけ視線を上げて呟いた。
「……麦わら」
「あっ、知ってますかルフィさん! あ、いや、あの、そうじゃなくて」
倒れた身体を起こしながら、コビーはしどろもどろに言葉を探す。海軍が毛嫌いする海賊の、しかもわざわざ切り取られた新聞の手配書を見て、どう思ったのだろうか。目の前の彼がどう感じたのかはわからないが、少なくともいい印象ではないことは確かだ。
そんなコビーの緊張とは裏腹に———男は手配書を見ながらフッとひとつ笑みをこぼすと、コビーの顔面にそれをそのままポンと押し付けた。
「ふぎゃ」
「いい顔をしているな」
そのままコビーの横を通り過ぎ、男は廊下の奥へと消えていった。
「そ、そぉーですよね!! 許せないですよねぇ! って、えっ、いい顔!? 何が!?」
一人取り残されたコビーは、ワケのわからない表情で思わず振り返る。
しかし男の姿は、もう廊下の先にはなかった。
「何だったんだァ?」
「う、ううん、さあ……」
コビーは部屋から顔を出したヘルメッポと、不思議そうに顔を見合わせていた。
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