ヘルメッポの飼っていた○○の話

 

 東の海の海軍の町、シェルズタウン。
 基地のある町とは銘打ってはいるが、海軍本部の厳つさを経験していると幾分か小さく見える。あの頃はあんなに大きく、そして冷たく見えたのに。ヘルメッポはそう思いつつ軍艦の窓から縞模様の建物を眺めていた。
 帰郷なんて出来るとは思ってなかったのだが、何の因果かうっかり叶ってしまった。勿論羽を伸ばしにではなく仕事の為だが、別れの言葉もなく町を去った身からすると目の前の景色はまるで夢のようだった。
 別に地元愛などはハナから存在しないし、当初鼻つまみ者だった自分はこの土地に思い入れなんて無かったつもりだったのに、地図の端まで遥か彼方の旅路を過ごしていると見慣れた景色だけでも愛着がわくものなんだ、とヘルメッポは一人感心をした。
 そうしていると、そこいらの船よりも数倍大きな軍艦を係留させているからなのか、町の子供たちが物珍しそうに船着き場に集まってきた。
 港の波止場で子供が手を振っている。それに気が付いた隣のコビーが、窓を開けてにこやかに手を振り返していた。
「おいっ、恥ずいからやめろよ」
「いいじゃん、歓迎してくれてるんだよ」
 そうして再び手を振り返していると、どんどん子供たちがコビー目当てでこちらに注目をし始める。
 ヘルメッポはその光景に妙な気恥ずかしさを覚えながらも、そっぽを向くこともできずに結局曖昧に手を振り返していた。
「かわいいねぇ」
「おらっ、騒ぎになる前にさっさと基地行くぞ」
 そう言いながらコビーの首根っこを掴み、ヘルメッポは子供たちを後にして目の前に聳える海軍基地へと向かった。

「それでは、確かに受領いたしました。ご報告感謝いたします」
 書類を受け取ると、幾分かはきはきとした表情でコビーが敬礼をした。それに合わせてヘルメッポも敬礼をする。
「あーいえいえこちらこそお疲れ様です! 我が支部出身の英雄様とこうしてお会いできるなんて、感謝感激光栄の極みでございますっ!」
 この支部の支部長でもある将校の男は、目の前のコビーの姿を見て大げさなほどに恭しく声を上げ、ビシリと敬礼を返した。
「いえいえそれほどでは……」
「長旅でお疲れでしょう。皆の者も歓迎しておりますので、どうぞどうぞゆっくりとおくつろぎください」
 男はそう言うとポンとコビーの肩を叩き、馴れ馴れしい手つきで応接間へと案内を促した。
「あ、いえ、支部長さんもお忙しいでしょうから、ちょっと様子だけ見て艦へ戻ります」
「ああ! そんな! お気遣いは無用ですのに」
「いえ、お心遣い感謝いたします。それでは」
 そう言うとコビーは身を翻して、ヘルメッポとともに部屋を後にした。

 支部長室の扉がバタンと閉められると、二人は同時にため息を漏らした。
「……知らねェ奴らばっかりだ」
「まあ、本部ですらあんなに出入り激しいからねぇ……」
 ヘルメッポの嘆きにコビーは苦笑いを返した。
 支部を離れてからそんなに経っていないはずなのに、基地に来てから顔見知りの者をひとりも見かけていなかった。おそらく世界情勢の変遷で様態も変わりつつあるのだろう。彼らの行く末は良くて栄転、もしくは異動で皆散り散りになってしまったのだろうけれども、もの寂しさとともに一抹の不安も感じずにはいられなかった。
 先ほどの支部長ですら後任の知らぬ人間に替わっていて気にはなっていたが、軽薄そうではあるが理不尽な人間ではなさそうで二人はホッとした。
 コビーがちらりと隣を見ると、ヘルメッポが拗ねたように口を尖らせている。
「だがよ、ちょっとくらいはおれにも労いあると思ってたんだがな。本部栄転からの英雄様! よくぞここまで昇進されまして! とかさ。結局名の知れてるお前だけじゃねェか」
「あはは……」
 ヘルメッポの不満そうな声色に思わず乾いた笑いが零れる。
「折角の地元凱旋なんだからもっとこう、こっちが恥ずかしくなるようなのぼりとか立てられてると思ったぜ。なんなら銅像とか立ててさ」
「それはさすがに要らないかなぁ」
 冗談めいた口調でヘルメッポが言うと、コビーは困ったように笑った。

「そういえばリカちゃん、今は支部で糧食班やってるんだね。顔出しに行く?」
 廊下を歩きながらコビーがそう尋ねた。以前からの付き合いがあり、二人の唯一の知り合いでもある彼女は現在海軍の下でお手伝いをしているのだそう。別れの挨拶もできずに遠くへ行ってしまったため、再会できるとなれば喜びはひとしおだろう。
 しかし、ヘルメッポは素っ気ない態度で首を横に振った。
「……別にいいだろ。お前が行きたきゃひとりで行け」
「つれないなぁ。久しぶりの顔、見たくないの?」
「そんな目的で来たワケじゃねェし。用終えたしさっさと帰るぞ」
 そう言うとヘルメッポはさっさと廊下を曲がり、その先へと足を運んだ。コビーはやれやれといった様子で肩をすくめながら、後を追うようにパタパタと駆け出した。
 
「……あ」
 ヘルメッポが廊下を歩いていると、ふと何かに気が付いたかのように立ち止まった。
「どうしたの?」
「ここ、倉庫になってたのか。まあそりゃそうか」
 ヘルメッポはぽつりと独り言を漏らすと、右側の少し開いている扉に近づいた。
 後から来たコビーもそちらを見ると、その先には立派な檻が鎮座していた。ひと一人どころか、十人は平気で入りそうなほどの大きくて頑丈そうな檻だ。
 今は本来の用途として使われていないのか鍵も開けっ放しで、たくさんの資料や荷物を詰めた木箱が中に置かれているだけだ。
「おっきな檻だね。囚人とか抑えてたけど使わなくなっちゃったのかな」
 コビーは檻に近づいて、中を覗き込むようにしながら言った。
「……」
「ヘルメッポさん?」
 静かにじっと檻を眺めるヘルメッポを、コビーは不思議そうに覗き込んだ。
 檻の中には誰もいない。そこにあるのが不自然なほどに巨大な檻は、まるで何かを押し込めていたかのような威圧感を感じるが、今は何も残っていない。しかしヘルメッポにはその中身が見えていたかのように、何も言わずにそれを見つめていた。
「……コビー、まだ出航まで時間あるか?」
 ヘルメッポが唐突に尋ねた。
「えっ、うん、まだあるけど……」
「寄りたいとこあるから、一人でちょっと出とくわ」
 そう言うとヘルメッポはさっさと廊下を歩いて外へ出て行ってしまった。
 その歩みは穏やかだがどこか寂しそうで、まるで何かを探しているようにも見えたが、コビーにはそれが一体何なのか分からなかった。

 基地を出てしばらく歩くと、大きな広場へと出た。
 東の海は他の地方と比べると海賊の被害も少なく、比較的穏やかな空気が漂っている。
 賑やかな広場を抜けたところで、ヘルメッポは背後に気配を感じて振り返った。
「で……何で付いてくるんだ」
 ヘルメッポの視線の先には、コビーが息を潜めるように隠れていた。
「へへ……だってどうしても気になってさ」
 声をかけられたコビーは、バツが悪そうに照れながら姿を現す。
「別にいいけどよ、そんな楽しいとこじゃねェぞ」
「わかってるよ。……お父さんのとこでしょ」
 コビーがそう言うと、ヘルメッポは少しだけ逡巡して瞼を閉じた。
「んー……まあ、当たからずも遠からず、ってとこだな」
「え?」
 妙に煮え切らない答えにコビーは首を傾げた。
 二人はそのまま広場を抜けると、町外れの丘へと足を運んだ。少しだけ急な坂をしばらく道なりに歩いていると、見晴らしのいい場所へと出る。
 そこからは眼下に町と海が一望できた。青く広がる広大な海に、白い町並みや行き交う船がまるで小さな玩具のように小さく見えている。そして目の前には色とりどりの花に囲まれて、白い十字架が立ち並んでいた。
「ここか……」
 ヘルメッポはそう呟くとずかずかと足を運び、墓標一つ一つを確かめるように見渡し始めた。
 やっぱり、何かを探しているようだ。
「やっぱ綺麗だねー島国の墓地は。こんな花いっぱいな墓地久しぶりに見たよ」
 コビーはヘルメッポの背中を見ながらそう言った。親しかった人を悼む墓地は、綺麗な花々に彩られ厳かな空気に包まれている。太陽の光を反射しキラキラと輝くその場所は、まるで人々の営みを見守る守り人のように優しく佇んでいた。
 いつも目にしているはずの背中が、妙に寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。そう思ったコビーはヘルメッポと一緒に探してあげようとも思ったが、自分にとってここは勝手知ったる土地ではない。なのでただ静かにヘルメッポを見守ることしかできなかった。
「……やっぱ無いか」
 ヘルメッポはしばらくキョロキョロとあたりを見回してから、ふとため息をついた。
「悪ィ、コビー、やっぱ無いっぽいわ」
 そう言ってヘルメッポは申し訳なさそうに振り向く。
 その表情はどこか寂しそうで、しかし何か吹っ切れたような清々しさも感じられた。

「まあ、親父の墓はまず無いと思ってたさ。……そもそも生きてるか死んでるかもわかんねェしな」
 近くのベンチに腰掛けながら、ヘルメッポは広場で買ったサンドイッチを頬張った。コビーもその隣に腰掛けて、ヘルメッポの顔色を窺うようにしながらその横顔を見る。
「じゃあ……お母さんのほう?」
「あー……そっちは多分生きてんじゃねェの? もう顔すらマトモに覚えてねェけど」
 ヘルメッポはそう言いながら口元のソースを拭う。家庭の事情はよくわからないが、そういえば昔から母親の姿は確認していなかったなと思い返し、コビーは静かに目を伏せた。
「そっか……」
「てか、おれが探してたのはそっちの墓じゃなくて、……コビー、覚えてっか?」
「ん?」
 ヘルメッポの言葉に、コビーは意図がよくわからずに小首を傾げた。
「おれにはもう一人家族が居たんだ」

「あ、あれっ、そうだったっけ!? ま、まさか隠れた兄弟が……!?」
「居ねェよ一人っ子だ。……てか、全然気づいてねェのな」
 ヘルメッポは呆れたようにため息をついた。当のコビーはまるで思い当たる節が見当たらないようで、キョトンとした表情を浮かべている。
「ええっ。……何だっけ」
「でけェ檻とかあっただろ」
「いや、それはてっきりお父さんが閉じ込められていた檻なのかと」
「あー……そっちのほうはどうでもいいわ。……だけど」
 ヘルメッポはコビーから視線を外すと、どこか遠くを見つめるように青空を見上げた。
「おれは毎日、あの檻の前でそいつに飯をやってたんだ」

―――モーガン統制下におかれた恐慌の町で、人々を悩ませた恐怖の存在。
 その体躯は普通のものよりひときわ大きく狂暴で、誰にも抑えつけることなどできない。
『それまでは野放しで町を歩き回ってて、みんなすごく困ってて……』
 とある剣豪が少女を守ろうと、鋭利な視線の先で刀をひとつ抜き―――。

「あ……」
 完全に思い出したコビーは、思わず小さく声を上げてしまった。
 確かに居たのだ。図体は大きいが、小さな家族が。
 ヘルメッポは自嘲気味に笑みをこぼし、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……馬鹿の道楽で、躾すらなってない奴を野放しで飼う資格なんて無かったのは認めるよ。……番犬にもクソの役にも立たず、はた迷惑なヤツだった」
「そう、だね……」
 コビーは歯切れの悪い言葉で頷いた。
 その言葉自体には何も文句はない。ヘルメッポが以前好き放題に町を暴れ散らしたのだって事実だし、それによって町の人々を危険に晒したのも事実だ。それに関して海兵としても擁護などできるはずがない。
 だけれども……。コビーはリカから伝聞していた情報をすり合わせて、少し苦い顔をした。
 ヘルメッポは悔しそうに顔を歪めながら、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
「……でもおれは、毎日そいつに飯をやるときが……何よりも一番楽しかったんだ。親父にくそでけェ檻建ててもらって、柄にもなく散歩させて……馬鹿だろって思うだろうが、おれはソイツを、唯一無二の友達、だと思ってて」
「……」
 コビーは何も言うことができず、ヘルメッポの言葉をただ静かに聞いていた。
「色んなことがぐちゃぐちゃになって、考える余裕がなくなったときでも、なんかアイツ無事だったのかな、怪我、治ったのかなとか考えちまってさ。いろいろと落ち着いたあとで、雑用で……あの檻、の掃除をする瞬間……が、すっげェ寂しくて……」
 ヘルメッポはそこで言葉を詰まらせ、少しだけ目頭を擦った。今まで好き放題してきた報いだということを念頭に置いてでも、大切な家族と引きはがされた悲しみはコビーは身にしみてわかっていた。分かっていたからこそ、ヘルメッポに言葉をかけることが出来なかった。
 命の炎が今までになく揺らぐ。見聞色を発現してからは、一度も見たことがなかったヘルメッポの揺らぎだ。
 ヘルメッポはぐずっと鼻をすすると、大きく深呼吸をしてから再び口を開いた。
「馬鹿だよな。同胞一人居なくなってもここまでじゃなかったのに、こんな犬っころ一匹思い出すだけで、こんな……っ」
 そう言うとヘルメッポは俯いて静かに肩を震わせた。長い体躯を縮こませ、今では小さな少年のようだ。
 コビーはぎゅっと拳を握り締めると、その背中を抱き寄せた。腕の中でヘルメッポが大きく息を飲むのがわかっても、コビーはその手を離すことはなかった。
「……大事な家族だったんですね」
 その背中をゆっくりと撫でながら、安心させるように優しく声をかける。ヘルメッポはコビーの肩口に顔を埋め、その襟首を握りしめながら小さく頷いた。
 どれくらいそうしていたのだろうか。やがて落ち着いたのかヘルメッポはゆっくりと顔を上げて言った。
「……なんか、悪かったな。一縷の望みで一応見てきたんだが、やっぱり墓なんてないよな。アイツのことだから、きっとどっかで野垂れ死んじまったんだよな、うん。……もう、平気だから、戻ろうぜ———」
 そうしてヘルメッポが立ち上がった瞬間だった。
「わんっ」
 突然ヘルメッポの足元で何かが吠えた。
「———!?」
 二人が驚いて足元を見やると、小さな子犬が足の間で尻尾を振っていた。
 グレーの混じった毛色は犬ではあまり見ないような色だったのだが、無邪気な姿は確かに子犬そのものであった。
「な、なんだよ子犬かよ。驚かせやがって」
 そう言いながらも、腹を空かせているようだったのでヘルメッポは手元のサンドイッチのパンをちぎって子犬に差し出した。
 すると子犬は嬉しそうにそれを頬張り、再び尻尾をパタパタと振った。その愛らしさにコビーは思わず頬を緩ませる。
 ヘルメッポも子犬の愛らしさに思わず顔をほころばせ、撫でてあげようと手を伸ばした、その時だった。
「ガァウッ」
「!?」
「うわっ」
 背後から唸るような声が聞こえたと思うと、子犬めがけて一目散に駆け寄る大きな影が見えた。思わず二人が後ずさりするも、その影は一目散に子犬へと突進していく。
 そしてあっという間に影が子犬を抱え込み、そのまま藪の中へと消えていった。
「……親犬かな。あっという間に行っちゃったね」
 コビーが呆気に取られながらヘルメッポの方を見ると―――ヘルメッポは目を丸くして、驚愕の表情を浮かべながら薮の方向を眺めていた。

「あ……あ……っ」
「……ヘルメッポさん?」

 ヘルメッポはあの連れ去った影の中に、不自然なほどの切り傷の痕が付いていたのを―――確かに見たのだった。

 

【ヘルメッポの飼っていた狼の話】

小説一覧へ戻る

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!