※記憶有りコビー×記憶なしヘルメッポの転生パロ設定です。詳しくは「あのね、せんせい」をご覧ください。
視界いっぱいに広がる青。海中を再現するようにライトアップされた水槽の中で、海に生きる生き物たちが上下左右と自由自在に泳いでいる。自分の背丈の何倍もある大きなジンベエザメが目の前を通り過ぎたかと思うと、エイの群れが一糸乱れぬ群舞を繰り広げていた。頂に波打つ水面を見上げると、まるで自分が海の中にいるみたいで、どこか安らかな気持ちにさせられる。
コビーはヘルメッポとともに近くの水族館へと来ていた。近所といっても、バイクに乗って一時間くらい。海岸線沿いにある巨大な水族館は、休日ということもあってたくさんの人で賑わっていた。
「おお、すげェなぁ」
ヘルメッポが感心したように呟いた。二人の頭上ではイワシの群れが光に照らされながら渦を巻き、その間を抜けるように悠々と海亀が通り過ぎていく。まるで本当の海のような没入感溢れる風景に、二人は思わず息を呑んだ。
「先生だから、水族館くらい行き慣れてるのかと思いました」
コビーはそう言って首を傾げた。少年のような反応をするヘルメッポが少し意外だったからだ。
ヘルメッポはそれを聞くと静かに笑って答えた。
「まあ確かに初めてではねェけどよ。にしても、本当によかったのか? 入場料くらい別に払うのに」
そう言いながらヘルメッポはコビーの方を振り向いた。そうなのだ。実は今回はコビーからチケットを差し出されて水族館へと来ているのだ。いつもはヘルメッポが連れ回しているのだが、コビーからの堂々とした遊びの誘いはなんやかんや初めてであった。
コビーはちらりとヘルメッポの方を一瞥しながら、振り向かずに言葉を返す。
「チケットは家族からもらったので、別に気にしなくて大丈夫です」
「ほーん? だったらそっちと行きゃあいいじゃねェか」
「いや、それもそうですけど……」
コビーは思わず言い淀む。不思議そうに覗き込むヘルメッポの視線が、痛い。沈黙に耐えきれなくなったコビーは赤い顔のままくるりと振り返ると、ヘルメッポの顔を真正面から見据えて言った。
「……先生、これは、れっきとしたデートですよ」
それを聞くとヘルメッポは呆気にとられたような顔をして、次にくしゃりと笑った。
「ん、そうだな」
「わざわざ言わせないでください」
頬を染めながら拗ねるコビーを尻目に、ヘルメッポは笑いながら後に続いた。
そう、今日は付き合い始めてからの初めてのデートだ。
◇
鮮やかな色をした魚を横目に、足元の順路に従って歩いていく。まるで蛍光ペンで塗りたくっているような体色は、青色の海と比べると幾分か派手に映る。このエリアは南国地帯の海の生き物の水槽のようだ。
作り物ではあるけれど、豊かな海の中で悠々と泳ぐ魚を見ていると心が洗われるようだった。
「お、これお前に似てるんじゃねェか?」
ヘルメッポがそう言って差し出した指の先には、ピンク色の可愛らしいウミウシが岩を這っていた。
それを聞いてコビーは呆れたように言葉を零す。
「それ何回目ですか。……ピンク色だったらなんでもいいんですか」
不満そうなコビーの声に、ヘルメッポは乾いた笑いを零した。
実際その通りで、ここに来てから同じような言葉を4~5回は聞かされていた。適当にも程がある。
「トーナメント方式なんだよ。これが一番似てる。可愛いし」
そういいつつガラス越しに差し出された指先に気がついたウミウシが、うねうねと指の方向へと近づく。触手がぴこぴこと動く様も愛らしくて、似ているかはともかくとしてコビーはその様子に思わず頬が緩んだ。
しかしその後ワンテンポ遅れて―――ヘルメッポが自分のことを可愛いと称していることに気がついて、顔が熱くなる。眼の前の水槽に夢中なヘルメッポを横目に、コビーはそっぽを向きつつ誤魔化すように小さく呟いた。
「じゃあヘルメッポさんはイソギンチャクですね」
「ええー嫌だよ。もうちょっとカッケーやつにしてくれよ」
そんな他愛ない会話を交わしながら前へ進むと、鮮やかな廊下から一気に幻想的なエリアへと切り替わった。
「わっ」
思わず声が漏れる。目の前に広がるのは、一面に広がる青い世界だった。深海をイメージしたその世界には、差し込む光がキラキラと青く煌めいて見える。潜水艦の窓のように丸く象られた水槽の中には、これでもかとばかりにたくさんのクラゲが揺蕩っていた。
「こんないっぱいクラゲ入れてんのか。これが映えってヤツか?」
ヘルメッポが興味深そうに水槽を覗き込む。そんなヘルメッポもといそんな人間の様子にまるで興味を示さないクラゲたちは、ふわふわと気持ちよさそうに水中を漂っている。
「へー、綺麗なもんだな。……コビー?」
返事がないことに気が付いてヘルメッポが振り返ると、コビーはクラゲの水槽から背を向け、怯えるように頭を抑えていた。
「クラゲには何回も刺されたことがあるんで……」
「ひぇっひぇっ、案外そういうところは現代と変わらないんだな」
ヘルメッポはそうやって軽快に笑うと、コビーにそっと手を差し出して呟いた。
「ほらよ、さっさと抜けちまうぞ」
そう言って今度はコビーの手を引いて進んでいく。前を行くヘルメッポの手は、思ったよりもずっと大きくて温かかった。頼もしい背中に、コビーは思わず胸がドキドキする。
さらに奥へと進むと、周囲の空気が一気に冷えるのを感じた。洞窟のように細長くなった通路を抜けると、ひっそりとした空間へとたどり着く。そこはまるで、深海の底に迷い込んだかのような、静かな空間が佇んでいた。広さは他のエリアと比べても遜色はない。しかし、このエリアに漂う空気は一種異質だった。
まるで深海魚が獲物を狙って息を殺しているような静寂にコビーは思わずぶるりと体を震わせた。飼育が難しいのか水槽での展示はそこまで多くなく、代わりに標本や資料が数多く展示されてあった。
小さな稚魚から、大きな個体まで、様々な生き物が剥製として飾られている。その中でも一際目立つ、まるで異形の怪物のような骨格が目を引いた。
背中がぞくりと 粟立つのを感じていた。かつての海王類にも似た独特の圧迫感が満ちている。死んでいるはずなのに、まるで海の底から二人を見ているかのような視線を感じてコビーは思わず足がすくんだ。
同じようにじっくりと展示を眺めているヘルメッポに、ふと訊ねてみた。
「これ、先生は実際に見たことありますか」
ヘルメッポはそんなコビーの問いに首を横に振る。
「んなん、無いに決まってるだろ。深海だぞ」
「そうです、よね……」
さも当然のように答えるヘルメッポに、コビーは少しだけ残念な表情を浮かべていた。
◇
深海エリアからしばらく進むと外へと出た。海と隣接しているこの水族館は外の広場へと出るとすぐに海岸線が目の前に広がり、手前にはまるで船のデッキのような造りの柵が立てられていた。
アイスクリーム二つを手に持ち広場へと戻ってきたヘルメッポの視線の先には、柵に肘をつき、ぼんやりと水平線を眺めるコビーの姿があった。
「海、懐かしいか?」
潮風が頬を撫でる。ヘルメッポがそう訊ねると、コビーはそっと目を細めた。
「うん」
「そっか」
ヘルメッポがアイスを手渡すと、コビーは再び水平線の方向を向いた。あのときの海とは違うのだろうけども、寄せては返す渚と微かに香る潮の香りは間違いなくあの海そのもので、郷愁に駆られる。
凪いだ水面からキラキラと光が反射して、まるで宝石のように輝いている。
「じゃあ懐かしいついでに、ちょっと訊きたいんだけど、さ」
アイスをひと齧りすると、ヘルメッポがどこか歯切れ悪そうに頬をかきながらふと話を切り出した。
「余ったチケットとか言ってたが、アレ、買ったやつだろ」
「……」
黙りこくるコビーに対して、ヘルメッポはどこか申し訳無さそうな顔を浮かべた。
「見ないふりしてたけど、やっぱ見ちまったんだよな。ごめんな」
静かに俯いているコビーをよそにヘルメッポは続ける。
「で、だ。お前の様子見てたら、そんなに得意じゃなさそうだし。おれとそんなにここ行きたかったのか? もしかして、何か裏があんのか?」
そうしてコビーの顔を覗き込むようにして訊ねた。
「う、裏なんてないですよ……先生と、デートしたいからに決まってるじゃないですか」
そうやってたじろぎながら答えるコビーに対して、ヘルメッポは顎に手を当て少し考えてから「これはおれの推論だが」と前置きしつつ、ひと呼吸置いて言った。
「生き物や、海を見せることで懐かしーってなって、おれの記憶が戻ってくるんじゃないかと一縷くらいは思ってたんじゃねェか?」
その言葉に、コビーの耳がピクリと揺れて微かに動揺する。
「……先生は、やっぱり聡いですね」
そう言うとコビーは手に持っていたアイスのコーンをぎゅっと握りしめた。
図星だった。ヘルメッポの言った推論は、コビー自身も心のどこかで思っていたことだった。海を見つめ、自分の体の数倍もある生物を目の当たりにし、その生物が生み出す音や匂いを感じて―――押し寄せる波とともに記憶を取り戻してほしいという思いが、コビーの中には確かにあったのだ。
だが、戻ってきてほしいという願望の一方で、その選択をすることは今目の前にいるヘルメッポ先生への否定とも捉えられることになってしまう。仮に記憶が戻ったとして、もとの先生の記憶がどうなってしまうのかは全く分からない。だからこそ、先生に悟られないように動いたつもりだったのだが、残念ながら察されてしまったようだった。
嫌われてしまったかもしれない。とコビーは直感した。自分に都合のいいことに先生を使わせてしまった後悔の念が胸中に一気に押し寄せて、ままならない。
俯いたまま何も言わないコビーにヘルメッポがその肩に手をやり、ポンっと軽く叩いた。そしてそのまま手を肩に添えたまま、ヘルメッポはふっとため息を吐いた。
「そっかぁーーー。じゃ、残念だったな。戻ってこなくて」
台詞とは裏腹に、どこかさっぱりとした明るい声色にコビーは思わず顔を上げた。
その先には、いつも通りのヘルメッポ先生の笑顔があった。
「そうだけど、でも……」
「御託はいい。おれとお前が、デートで水族館に行った。ただそれだけだ」
そう言うと、ヘルメッポはコビーの頭をくしゃくしゃと撫でた。その仕草があまりにも懐かしくて、コビーは目の奥がツンと痛くなるのを感じた。
きっと先生だっていろいろ考えて辛いはずなのに、こうして自分のことを気にかけてくれる。その事実が嬉しくて。でも、その優しさがやっぱりちょっと辛くて、コビーは涙を堪えるのに必死だった。
「楽しかったろ?」
ヘルメッポの言葉にコビーがこく、と頷くと、ヘルメッポはどこか嬉しそうに口角を上げた。
溶けていくアイスを慌てて口に運ぶと、甘い味とともに、少ししょっぱい潮の辛さが押し寄せる。
先に食べきっていたヘルメッポの腕をそっと引くと、コビーはそっと口づけをした。
一瞬時が止まったように、潮風と、波の音と、海鳥の声が二人を包む。呆気にとられるヘルメッポの目の前で、コビーは頬を赤らめながらへらりと笑った。
「……どっちのヘルメッポさんでも、キスはしようと思ってました」
いじらしそうに話すコビーに対して、ヘルメッポの頬も思わず紅潮した。
二人の間に何とも形容しがたい沈黙が流れていたが、コビーがなにかに気が付いたかのように唐突に声を上げた。
「あっ、もうイルカショー始まっちゃう! 早くいかないと!」
それをきっかけにヘルメッポも思わず我に返る。
「マジか、席無くなっちゃうな! 急ぐか!」
「うん!」
慌てて広場を駆け出す二人の後には、ただ物言わぬ潮騒だけが響いていた。
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