魔が差した、と称すればなんとかこの気持ちにケリがつくのかもしれない。と佐治は一人考えていた。
自分は今、サッカー界の至宝である天谷吏人を連れて高速を走らせている。まあ勿論誘拐でもないし、れっきとした深夜のドライブであることには間違いないのだが。
それ自体はなにも問題ではないのだが、一つあるとすれば―――そう、これから二人が向かう先であろう。
何気ない話で場を濁しつつも駐車場に車を止め、ネオンが光るホテル街に足を踏み入れた。都心より少しだけ離れた国道沿い、そのホテルの幟には堂々と休憩を書かれている。
格好つけてキスなんてしたにも関わらず、自宅に呼ぶのはいろいろな意味でリスクがある気がして呼べなかった。片付いていないし、隣にバレたら何があるかわかったもんじゃない。それならばこれしかないと苦肉の策だったのだが、なんだか自宅に呼ぶよりスキャンダラスの香りがして佐治は妙にソワソワしてしまっていた。
一方隣の吏人はというと、そんな思惑にも全く気がついていないような、あまり興味のないような態度で周囲をキョロキョロしていた。なんならいっそ、ホテルの「休憩」の意味すら知らないんだろうなと思わされるほどにいつも通りだった。
「おい、あんまウロウロするなよ」
駐車場で迷いそうになっていた吏人の手を強引に取る。ああ、こんなとこパパラッチされたらどうすんだよ。佐治はそう嘆きながらも、ようやくホテルの中へと入っていった。
ラブホテルの受付は非対面式である。一応な、と声をかけつつ佐治は吏人の着ているパーカーのフードを被せた。吏人はというと、やはり興味のないような様子で佐治の後ろをついて行く。
部屋を選ぶパネルの前で、ふと吏人に尋ねた。
「お前さ、こういうとこ来たことあんのか」
それを聞くと吏人は少し間を置いてから、小さく首を横に振った。佐治はそうかと相槌を打ちながらも、それに対して少しだけ安堵した自分がいた。
「チームメイトは、よく行ってるらしいッス」
「それはあんま聞きたくなかったな……」
名のあるプロ選手の聞きたくなかった事実に落胆しながらも、佐治は滞り無く受付を済ませた。
しばらくしていると鍵代わりのカードが飛び出してきた。オートロック式か、と感心しながら「行くぞ」と吏人の手を取って近くのエレベーターに乗り込んだ。
待っている間、気まずい空間が場を支配する。ここに行こうと決めたのは紛れもない自分だが、いざ本当に足を運ぶとなると妙に変な気持ちになる。それはきっと他の人間でもそうかもしれないとは思うが、なにより相手があのトップサッカープレイヤーだから、というのもあるかもしれない。
―――日本の至宝とはいっても、おんなじ高校のくそムカつく後輩なのは変わってないはずなのに。
少しモヤモヤする気持ちを抱えながらも、佐治はエレベーターを降りた。
部屋の中は案外普通だった。汚くもなく、そのへんのビジネスホテルとそこまで変わりはしない。そんな高いグレードではないはずなのに、予想よりホスピタリティが高くて佐治は感心した。
だがそれよりも、一段と目を引くのは―――まあある意味当然ではあるのだろうが―――部屋の半分を占めるほどのダブルベッドであった。その存在感は、まるでここがそういう場所であるということをまざまざと思い知らされる。
旅行などでホテルに着くとテンションが上がる佐治だが、このときばかりはそうはいかない。ドギマギした様子で隣の吏人をちらりと見ると、やはりここでも平然とした様子で部屋の中を見回していた。
やはり、何もわかってないような気がする。
「とりあえず、足、洗うだろ」
佐治はそう言って吏人にシャワーを促した。先刻の浜辺に寄った際、吏人の足が砂まみれになっていた。吏人はコクンと頷くと、併設されてる風呂場へと入っていった。
しかしそこでも、佐治は驚愕することになる。風呂場は全面ガラス張りで、中が丸見えなのである。
しかもちょうどベッドから見える位置にあり、流石にそれは面食らう。そういう場所だとはわかっていても一糸纏わぬ姿を傍から見るなんて変態くさいじゃないか。佐治は透明モードをオフにするスイッチを探そうとしたが見当たらない。そうこうしているうちに吏人が服を容赦なく脱ぎ始めたので、慌てて引き留めた。
「わーーちょっと待て!!」
「何スか。やれと言ったりやるなと言ったり」
吏人はそう言うと不満そうな顔を浮かべた。
「お前は気になんないのかアレを!!」
「佐治さんだし別にいいッスよ」
別にいい、と聞かされた瞬間心臓がドキリとしたが、そういう意味ではないことは既にわかっている。あくまで冷静な顔を浮かべつつ、どうするべきかと思索する。
「テ、テレビとか見て……見ないようにしてるから……」
ドギマギしつつ佐治の空を切る手を眺めながら、吏人は唐突に口を開いた。
「そんなに気になるなら、一緒に入ればいいじゃないスか」
「……へあ?」
佐治は言葉が呑み込めず、一瞬固まった。
よくよく考えてみれば当然のことだ。気になるなら一緒に入ればいい。着替えだったり合宿の共同風呂だったりで入ったりしていたのに、今更何を恥ずかしがっているというのだ。
そんな気持ちでなんとなく流されるままに頷いたのだが、状況が状況なだけにやっぱりソワソワしてしまう。佐治は先に広い湯船に浸かり、先にシャワーを浴びている吏人の方に目をやった。
やはりプロスポーツ選手の身体だ。ゴリゴリというよりは、俊敏そうなしなやかさがある。体格は小柄のままだが、その背中はやはり肉付きが良く、翼を支えるが如くしっかりとした筋肉が付いていた。
そこまで目で追ってしまい、佐治は思わず顔を背けた。いやいや、これじゃ盗み見てるのと一緒じゃねェか。そうは思いつつも、どうしてもその肉体に目がいってしまう。
日に焼けて、健康的な肌だ。ただ目を凝らしてみるとところどころに傷跡が見える。いったいどれほどの歴戦を潜り抜けてきたのだろう。この背中にそんな歴史が刻まれているのかと思うと、胸が締め付けられる思いがした。
佐治は自らの身体を見返し、ため息をついた。サッカーなんて暫くしてないから、日にも焼けず生白い。せいぜい腕や足にもちょこっとだけ筋肉の線が見えている程度である。
あれそれ考えていると、吏人がシャワーを止めてバスタブに浸かってきた。広いとはいえ、隣同士には居れないほどの広さなので吏人は佐治の向かいに身体を沈める。
案の定、またしても微妙な空気が二人の間を流れた。こう手持ち無沙汰だと無意識に下半身に目が行ってしまうが、湯に隠れて見えづらくて助かった。
吏人はどうやらそんなに気にしていないようで、湯を手ですくってパシャパシャと顔にかけている。その仕草が、なんだか幼い子供みたいで。
そういうつもりはなかったが―――佐治はふと、吏人に触れたい衝動に駆られた。
手を伸ばして、指の背でそっと頬を撫でる。すると一瞬ピクンと反応したが、特に拒否されるようなこともなくされるがままになっていた。むしろ心地よさそうに目を閉じているので、そのまま耳や首筋をなぞるように触ってみる。触れた体温が気持ちよくて思わずその素肌に手を滑らせると、耳元でピチャリと水音が響いた。
「……佐治さんッ」
驚いたような声で呼ばれて、佐治はハッと我に返った。目の前を見ると、頬をわずかに染めた吏人の目と視線がかち合う。
まずい、と思ったその瞬間、吏人に手を引かれてそのまま唇を塞がれていた。
またもや、時が止まったかのように思えた。数秒しかないのに永遠にも感じられるほどの口づけは、名残惜しそうに離れていった。
ポカンと口を開けたまま、佐治は呆然と吏人を見つめた。頬が赤いのは湯舟のせいだと言い聞かせていたのだが、どうやらそうでもないらしく吏人はじっと佐治を見つめて耳元でささやいた。
「続きは、上がってからにしましょう」
吏人はそう告げると、ザバリと音を立てて湯船から上がった。相変わらず烏の行水だな、と思う隙も気持ちの余裕もなく、佐治はただその後ろ姿を見つめていた。
―――焚きつけてしまった。佐治は湯船の中で一人、頭を抱えた。
すっかりのぼせそうだった。熱いお湯のせいもあるだろうが、きっとそれだけじゃないだろう。ぼやけた頭をガシガシと拭いて風呂から出ると、吏人はダブルベッドの上で胡坐をかいていた。
熱に浮かされてるわけでも、惚けてるわけでもなく、本当にいつも通りの吏人の姿に佐治は少しだけ安心する。
目の前に鎮座するテレビを見ていたらしく、眼前で繰り広げられるサッカーの試合を食い入るように見つめていた。
「DAZNあったっけ?」
そう言う佐治に気が付いた吏人が振り返って応える。
「これBSッス」
「そっか。えーでもせっかくだし映画でも見ようぜ」
「興味ないッス」
バッサリと切り捨てる吏人に、佐治は思わず頭を掻いた。
「あーそうですか。これ何戦?」
「イギリスとブラジル」
「おー。時差あるからこんとき寝てたわ」
「戦った時この選手に執拗にカットされて……」
「へー……」
素っ気ない返事とは裏腹に、吏人は食い入るように画面を見つめている。サッカーとなると吏人はいつもこうだ。
ふと、吏人の髪の拭きが甘いことに気が付いてタオルでわしゃわしゃと拭いてやる。するとさっきの積極性のある姿は上の空で、大人しくされるがままになっていた。
……なんだかな、と佐治は思った。風呂上りで火照った身体のせいか、それともサッカーの熱に浮かされてるのか。
どちらにしても、この空間は心地よかった。まるで二人きりの世界のように錯覚してしまうほどに静かで、吏人はただ一心に目の前の画面を見つめている。
このまま、時が止まってしまえばいい。とすら思う。しかし、もちろんそうは言ってられない。
だって、明日には吏人は日本を発ってしまうのだから。
髪を乾かし終わり、吏人の隣に腰掛ける。すると横合いからするりと腕を回し、佐治の肩に頭を乗せた。濡れたままの髪が肩にかかり、少し冷たかった。風呂上がりの体温は高くて、触れ合うだけで心地いい。そのまましばらくテレビを見つめていると、試合がハーフタイムに入ったのかCMになった。
そのタイミングでふと、吏人が口を開く。
―――このままでいいんスか? その一言に、思わずドキリとした。
この様子だと、おそらく吏人も同じことを考えているのだろう。ここまで来て、ラブホにまで入っちまって。何もしないなんてもうありえないくらいのとこまで来ちまって。
でもやっぱり、踏み出すのが怖い自分も居て。
そんなぐちゃぐちゃの内心を見通しているかのように、吏人は次の言葉を待っていた。
この期に及んで、何が正解で不正解なのかよくわからない。今のままでいいとも思うし、そうでないと思う時もある。でもこれ以上どう踏み込んでいいのかがわからない。吏人の目を見る勇気すらなくて、佐治は逃げるように目を瞑った。
すると途端に体がグイと引かれて、気が付くとベッドの上に押し倒されていた。驚いて目を開けるとそこには吏人がいて。その距離にドキリとしたのもつかの間、吏人は馬乗りになるや否や佐治の身体に覆いかぶさってきた。
「んん……っ」
再び唇が重なった。何度も何度も、まるで何かを確かめるように力強く。
触れ合う身体や肌が熱い。その熱が、身体の芯を擽る。思わず腰が引けてベッドヘッドに背をぶつけた。ギシリと軋む音がやけに生々しくて、佐治はカッと頬を染めた。吏人はそのまま耳元や首筋を撫でさすりながら口付けを繰り返す。たまらずぎゅっと目を閉じるが、またすぐにこじ開けられるような激しさで唇を塞がれる。
―――まるで捕食されてるみたいだと思った。このまま食い殺されてしまうかもしれないとも。
しかし、それも悪くないとさえ思うのは、この空間のせいだろうか。
思わず吏人の首に腕を回す。背中の肩甲骨の、両翼のあたり。いや、吏人ならば片翼なのだろうが、と考えながらもゆっくりとさすると、目の前の吏人は満足そうな表情を浮かべた。顔にはあまり表れないが、そっと目を瞑った睫毛の先がきれいで、やっぱり天使みたいだと思う。
唇が離れて、吏人は佐治の耳元に唇を寄せた。
「好きです。佐治さん」
海で見たあのトーンと同じように紡がれる言葉に、佐治は思わず顔を背ける。面と向かってはっきりと言われると、やはり気恥ずかしい。
そういう、身勝手でマイペースで傲慢で、いつもオレを振り回す様が―――昔から、嫌いで、好きだ。
朝日がカーテンの隙間から差し込む。いつの間にか眠ってしまったようだ。
痛む腰をさすりながら身体を起こすと、吏人は隣で身体を縮こませて眠っていた。そのあどけない寝顔に、思わず笑みがこぼれる。
すっかり充電を忘れてしまったな、と自らのスマホのスリープを解除すると、浮かび上がる時刻に思わず目を剥いた。
「わーーーっ!!」
「……おはようございます」
佐治の驚いた声に、吏人はいつものトーンで応える。しかし佐治は慌てた様子でスマホの画面を吏人に見せた。
「お前9時って言ってたよな!? 飛行機は一時間前には空港いなきゃいけねーの!! 行くぞ!!」
そう言うと、佐治は吏人の腕を引きベッドから引きずり下ろした。
全く、ピロートークもなんもあっちゃいない。でもまあ、それがオレたちらしいっちゃらしいか、と佐治は苦笑した。

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