白球の行方

 

 夜の街の交差点を、一人歩いていた。決して夜遊びなんかではない。いや、ある意味夜半に遊びに行ってるから夜遊びといえるのだろうが、そういう意味ではない。ただ単に同性の知り合いに誘われて、この道を歩いているだけだ。そう言い訳をしながら、目の前の入り組んだ道を進んでいく。
 道なき路、所謂裏路地を歩きつつ指定された店舗の前に立つ。その店はいわゆるプールバーというらしい。
 プールバーなんて入ったことが無かった。プールなんていうものだからナイトプールにでも行くものかと思ってそれは絶対に勘弁と断っていたのだが、「金井淵君は好きだと思いますよ」とだけ言われて結局ノコノコとやってきてしまったというわけである。
 いや、何なら全然断るはずだったのだが、「知らないんですか?」とアイツに煽られるのもムカつくから行くだけだ。決してプールバーとやらが気になるとか、そういうわけではない。断じてない。
 躊躇してても仕方ねェ、とばかりに扉を開くと、すぐ目の前にアイツの姿があった。その人物———曲山・クリストファー・晴海は、バーカウンターに座って目の前の女性となんだか楽しそうに酒を傾けていた。
「金井淵君!」
 曲山はオレの名前を呼ぶと、嬉しそうに手を振ってくる。相変わらずヘラヘラしてるなと思いながらも、オレは曲山に近寄っていった。
「おう。ここまで来るの大変だったぞ」
 そう言葉にしながら曲山の隣に座る。まあ、離れて座るのもなんか違うしな。
 しかし頭の隅ではなんだか仲睦まじそうな女性の影が映る。
「……さっきの人、誰だ」
 徐に尋ねると、曲山は合点言ったように答えた。
「ああ! このバーのマスターさんですよ。今日は人いなくて貸し切り同然だから、「アレ」何時間でもいいって言ってくれて」
「……?」
 オレは困惑した。曲山の言う、アレとやらに全く覚えがない。
「ちょっと待て、話が見えない。お前はいったい何をするんだ?」
 それを尋ねると、曲山は不思議そうに首を傾げる。
「え? いや、金井淵君も、てっきりアレをやりに来たのかと……」
「だから……」
 アレってなんだよ、とオレが呆れたように聞き返そうとしたその時、曲山は徐ろにバーの向こうにあるものを指差す。
 その先には、緑色の四足のテーブルと9つの玉が鎮座していた。
「……ビリヤード?」

 なるほどな。話は大体わかった。要するにこのゲームの対戦相手が欲しかったのだろう。
「プールというのは、賭けのお金を集めるプールから来ているそうですよ。まあ日本ではもう賭け事は違法なんですけどね」
「ふーん……」
 プールバーの由来を聞きながら、オレは相槌を打つ。
「あれ、もしかして金井淵君、ナイトプールとかだと思っちゃいました?」
「うるせェ。だったら行かねェよ」
 図星を突かれてオレは思わず憎まれ口を叩いた。全く、妙に目ざとい男だ。
「じゃあまあそれはおいおいとして……どうです? やりませんか?」
 おいおいってなんだよ、と突っ込む暇もなく曲山のキラキラした誘いに少し戸惑う。ゲーム自体の存在は知っていたが、経験は一切ない。正直言って玉を撞くだけだとは思うのだが、この場で無様は晒したくない。
 だが今の曲山の眩しすぎるほどの目はすぐわかる。初心者を手ほどきしたい経験者の目だ。それを無碍にするのも癪だし、自分もせっかくここまで来たのだからという負い目もある。今後のことも考えるとこういう機会が多少はあるかも知れないし、大勢の前よりかは曲山と初対面のマスターとのほうが幾分かはマシだろう。
 腹を括ったように頷くと、曲山は嬉しそうに笑っていた。全く、おめでたいやつだ。

 プレイの前にチャージで一杯促された。どうやらここのビールはバドワイザーらしい。
 泡を立ててグラスに注がれた一杯をグッと飲み干し、曲山に導かれるままビリヤードの台に近寄った。
 曲山は手取り足取り教えるつもりなのか、台の奥に回りキューを取り出した。最初の一球は手本とばかりに曲山がショットを放った。玉の勢いはテレビで見たときよりも勢いがあるな、と思った。白い玉は端にぶつかり、物理演算式にしたがって弾かれた玉は軌道を描いて他の玉にぶつかる。そうしてぶつかった玉は、六つの穴の一つのポケットに吸い込まれていくように落ちていった。
「よし。……こうやって打ってみてください」
 曲山のレクチャーを受けて、オレは白い玉に狙いを定めてキューを構えた。しかし何かに気がついた曲山が、ショットをする前に制止する。
「あ、それじゃあ打ちにくいかも」
「そうか?」
「指はこう、です」
 曲山はそう言うとオレの手を取り、自分の指と絡ませる。そしてそのままキューの構えを直された。
 ……いや、何してんだ。と抗議する気持ちもあったにはあったのだが、曲山の様子を見るに悪気は一切ないのだろう。
 そうして手を覆いかぶされたままショットを打つ。先程より少し弱かったか白い玉はのろのろとした動きをして、かちんと音を立てて他の玉にぶつかった。強すぎたらフィールドから出てしまいそうだし、意外と加減が難しいなと直感した。
 打ってみてわかったが、少しだけトロンボーンの吹き方にも似ているところがある。正しい箇所を意識すると、自ずと正しい音が出る。こういうところはやはり似てるのかもしれないな、と思った。
 まあ、コンピューターじゃないから例外も多少はあるのだろうが。そういうところもトロンボーンと一緒だ。
 オレが感心したように長考を重ねていると、曲山は徐ろに眉を下げて尋ねてきた。
「……もう、吹かないんですか」
 何とは言わない。オレが丁度吹奏楽のことを思い出していることがわかったのだろう。確かに、高校卒業を機にそれからは離れてしまっている。
「ボクは大学行ってからも、なんやかんややってますよ……なんだか、悔しくて」
 曲山は、少し寂しそうに笑った。悔しい、その言葉が一体何を表しているのかは何となく感じ取ってしまった。
 あの時、虹を得た自分たちとは逆に、未だに虹の残滓を追っているのだろう。
「皮肉ですね。なんか―――才能あるのは金井淵君のほうなのに、結局ボクのほうがしがみついちゃってますね」
 その自嘲めいた言葉に、オレはなんだか少しだけ憤りを感じてしまった。しがみつくも何も、あの時対等に戦った相手じゃないか。そこに才能なんてものは存在しなかった。
 ただあるのは、互いに対峙するという覚悟だけだったはずだ。それを蔑むのは、趣味じゃない。
「ほら、さっさと撞けよ」
 オレは徐ろに曲山にキューを手渡し、告げる。曲山は驚いたようにオレを見たが、すぐにいつもの柔らかい表情に戻り、頷いた。

 最後のボールが、穴へ転がっていく。なんか曲山を励ましていたらいつの間にか負けてしまったようだ。
 まあ、初心者だしな。と言い訳をしていると、すっかりいつもの調子に戻ったのか曲山は嬉しそうにこちらを向いた。
「さ、三番勝負でもいいですよ!」
 慌てて言葉を紡ぐ曲山の声色は軽かった。もっと勝負がしたい、との表れなのだろうか。
 もしくは、もっとオレの本気を引き出したいとのことだろうか。
「……上等だ」
 もう手加減は無用だ。覚悟しろよ、とばかりにオレは曲山の方を向き直った。

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