これは、コイツを甘く見積もっていた罰なのだろうか。
ヘルメッポは心の中でひとりごちて、目の前の人間を見つめながら冷や汗をかいた。
いつもの海軍基地の、いつもの厩舎のベッド。唯一違うところといったら―――長年連れ添ってきた相棒に、今まさに組み敷かれているところだろうか。
「ヘルメッポさん……そろそろ、いい?」
上に乗っかっている相棒であるコビーが声を掛ける。少し声が上ずって緊張しているようだったが、しっかりと手首をベッドへと縫い付けて真剣な瞳で見つめている。その目の奥に昂る眼光の鋭さは、ヘルメッポがよく知る従順な犬などではなく、まるで獲物を前にした猛獣のようだ。
いいか悪いかで言えば全く良くはないのだが、ヘルメッポにはその腕を振り切って逃げ出すことができなかった。
それは、目の前の彼の真剣な眼光や純粋な好意に絆されたわけでは、ない。
こうなってしまった大きな原因は―――自分にあると思っているからだ。
我ながら酷い話だけども、と述懐しつつも、ヘルメッポはコビーのことを勿論なんとも思っていないわけじゃない。むしろたったひとり孤立しそうになったところを救ってくれた恩もあるし、確固たる信頼のもと連れ添ってきた仲だ。好いてくれるのは別に構わないと思っていた。
初めは男同士だからって偏見とプライドから好意を純粋な気持ちで受け取ることができなかったが、紆余曲折あって蟠りは解けていった。二人きりの時に限るが、今ではキスやハグは日常茶飯事として受け入れられている。
しかしこのときのヘルメッポは、コビーにいわゆる「そういう」知識があるとは一切思っていなかったのだ。
黙ったままのヘルメッポに、居心地の悪い空気を埋めるようにキスが降ってくる。抵抗もままならぬまま何度も啄むように触れられ、ビクリと身体が反応を示す。
「ヘルメッポさん……ん」
唇が離れて視線が合うと、コビーはごくりと喉を鳴らした。いつもとは明らかに違う真剣な眼差しの奥がギラついているのが見えて、ヘルメッポの肌がざわざわと粟立った。
―――まずい。この流れは非常にまずいぞ。
ヘルメッポは内心で冷や汗をかきながらも、その感情を表に出すまいと必死に堪えて平然を装った。しかし、手首がベッドへと縫い付けられていて、体が思うように動かない。
「コビー……おまっ、え」
「ごめん……っ、こんな真似して……。でももう、我慢できない……」
そういうとコビーは激しく懇願をするような顔でこちらを見つめてきた。
顔立ちは無邪気な子供のような面影を残しているが、決して純粋な無垢とは違う。
その姿は、ヘルメッポが覚えている限りの―――袖を掴んで泣きながら、「あること」を懇願してきたあの頃のコビーとは、似ても似つかなかった。
◇
東の海シェルズタウン支部海軍雑用兵としてコビーが入隊をしてきた直後、同じく雑用兵だったヘルメッポはコビーのことを毛嫌いしていた。詳細な経緯は割愛するが、海軍の中で実質降格させられて雑用兵となったヘルメッポと、新入りのコビー。当然のようにソリが合うはずもなく、突っかかってばかりの毎日だった。
コビーのほうは仲良くしようとしていたのだが、当時心身ともに捻くれていたヘルメッポは勿論そうではない。
「いいか? 階級は同じでも、入った日数はおれさまのほうが上だ! だからこっちが先輩なんだからな!」
これが、当時のヘルメッポがよく言っていた主張だ。
階級は着任年数関係なく平等なはずなのだが、ヘルメッポにそんなことは関係ない。己の自尊心を保ち、虚栄心を満たすために都合のいい言葉を並べ、隣のコビーに先輩風を吹かせて威張りたかっただけなのだ。
以前の境遇を思うと本当にギリギリの、彼なりの精一杯の虚勢だったのは確かなのだが、傍から見れば幼稚な態度でしかない。ひとつ間違えば当然のように孤立しかねないヘルメッポの性格は、懲戒されたあとも直ぐに変わるようなものではなかったのだ。
しかし、コビーはそんなヘルメッポに嫌な顔ひとつせずに接してきた。一応、仕事をサボることに対する戒めはしてきたのだが、それ以外のことに関しては何一つ反論を返さない。むしろ「以前よりマシだ」と言わんばかりの態度でヘラヘラと笑って受け流すし、物覚えがいいのかすぐに仕事を覚えていく。
そのことが、余計にヘルメッポを苛つかせた。
彼は次第に、コビーに対して粗探しをするようになった。海軍基地での雑用や任務、プライベートな時間に至るまで、コビーのもとにぴったりとくっついて何かと難癖をつけては突っかかる。己より劣っている部分を見つければ、些細なものでも執拗に当て擦りをするようにしたのだった。
しかしコビーは、そんなヘルメッポの行動を全く気にも留めなかった。そもそも粗らしい粗はほぼ無いに等しかった上に、言いがかりでしかないヘルメッポの意地の悪い言葉を正面から受け止めて、形ばかりの反論もしない。コビーは終始その行動をやめさせるわけでもなく、ただ毎日をニコニコと楽しそうに過ごしていたのだった。
(ムカつく……)
そんな態度を取るコビーに対し、ヘルメッポの感情は日に日に怒りと対抗心で膨らんでいった。
―――そんな日常の、とある夜のことである。
海軍宿舎の一室、二等兵以下の兵たちがごった返すタコ部屋、そのさらに隅っこでヘルメッポは己のハンモックに包まっていた。夜も深まり、誰も彼もが寝静まる時間帯。しかしヘルメッポの瞼は妙に冴えわたっていた。
もう今さら両隣のイビキを気にする段階にはなかったのだが、その日はなんだか妙に寝苦しかったのだ。
そんな日もあるかと思いながらも、明日に差し障るから早く寝てしまおうと無理やり瞼を閉じて眠りにつこうとした―――その時だった。
つんつん、と頬を突かれる感触でヘルメッポは目が覚めた。寝ぼけ眼で振り返りその方向に視線を向けると、そこにはコビーの姿があった。
大方、自分とおんなじで眠れないとかそんなんだろうと思っていたのだが、目の前のコビーはいつものニヘラ顔を浮かべて立っているわけではなかった。
―――頬が上気しており、微かに目に涙を浮かべている。少し恥ずかしそうに顔を俯かせ、ヘルメッポのハンモックに手をかけたまま怯えたように立ちすくんでいた。
「んだよ……コビー、眠れねェのか?」
己の瞼をゴシゴシと擦りながらヘルメッポは上体を起こした。
起き上がったことに気がつくと、コビーはハンモックの傍でしゃがみこんで顔を寄せ、誰にも聞こえないような小声でこっそりと囁いた。
「あの……僕、病気になっちゃったかもしれないです……」
「……はぁ?」
ヘルメッポは思わず素っ頓狂な声を出した。しかし、コビーは至って真剣な様子で続ける。
「寝れなくて、気がついたら……ここがなんだかムズムズしてきて、なんかこんな……」
そう言ってコビーが指差したのは、己の下腹部であった。ヘルメッポが視線をそちらへと下げると———布越しでもわかるほどに、股の間のモノが膨れ上がっていることが見て取れる。
「ど、どうしましょう、軍医のひとに訊いたほうがいいんですかね」
オロオロしているコビーを横目に、ヘルメッポは心底呆れたようにため息をついた。
「んだよ、そんなんでおれさまを起こすんじゃねェよ」
文句を言いながら、ヘルメッポはコビーのそれを軽く小突いてみせた。
「ひやっ……」コビーは恥ずかしそうに身を捩る。
「こんなん一発ヌきゃ治るだろ。それともアレか、お前まさか……包茎野郎なんかァ?」
ヘルメッポはそう煽るように問いかけたのだが、コビーはキョトンとしたような顔を浮かべながら首を傾げた。
「ぬ、抜くって、なんですか……ほうけい?」
おい、マジかよ。ヘルメッポの脳内に思わずそんな言葉が飛び出した。この口ぶりから察するに間違いない。コビーは今の今まで自慰はおろか精通すら済ませたことがなかったのだ。本来なら子どもの頃に通るはずだった性にまつわる経験を積むことなくこの年まで来てしまっていたのだ。
コビーが二年間海賊に拉致されていたことを思うとある意味当然とも言えるのだが、当時のヘルメッポには知る由もなかったのだ。
「ヘルメッポさぁん……」
服の裾をぎゅっと掴み、目に涙を浮かべながらコビーが懇願する。
「これの治し方、知ってるんですよね? ぼく、こんなの誰にも言えなくて……ヘルメッポさん、抜くってやりかた、教えて……」
それを聞いてヘルメッポは一瞬だけ目を丸くしたのだが―――ふと、ニヤリと口角が上がる。
自分に縋ることしか出来ないこの滑稽な状況。おそらくコビーに激しくマウントを取れるという圧倒的な優越感。男のモノを触るのなんてとんでもなかったが、それよりもコビーに対し敗北感を味わわせることができるというただ一点。それだけで己の心の中に秘めていた加虐心が沸々と湧き上がってくるのを感じていた。
「ああ、いいぜ……」
そう言うとヘルメッポはコビーの手を取り、寝室から飛び出していった。
見張り番に気づかれないようにドアを開けると、物置小屋と化した一室へとたどり着いた。
雑用兵である二人にとっていつもの仕事場ではあるが、今は人の気配すらない。
「よし、脱げ」
「えっ、ここで!?」
ヘルメッポの言葉に、コビーは驚きの声を上げた。
「しょうがねえだろ。クサくねェし、人来ねえとこっつったらここだろ」
もっともらしいことを言いながら、ヘルメッポは部屋の手頃な段差にコビーを座らせた。「嫌とか言ったら勝手に脱がすからな」と凄みをかけてウエストに手を掛けると、コビーは観念したかのようにゴソゴソと自らズボンを下ろし始めた。
下着ごと下ろすと、コビーのそれが目の前に晒された。まだ毛も生えていない、つるんとしたそれは未成熟の子どものモノそのもので、当然のように陽にも焼けておらず生っちろい。大きさは嘲笑するほどではないが、今は硬さを帯びて上へと聳え立っている。
ああ、本当に手入れしていないんだ。そう思いながらヘルメッポが剥けていない亀頭部分を確かめるように触れると、先端からじわりと透明な汁が漏れる。
「んあっ……」
「もう出そうじゃねェか。ほら、早く手貸せ」
恥ずかしさのあまり顔を背けていたコビーにヘルメッポが促すと、おずおずと手を差し出してきた。
その手首を強引に掴み、陰茎にあてがった。
「そのまま沿う感じで動かせ」と指先で力を込めるように催促すると、コビーは恐る恐るヘルメッポの手と共に陰茎を上下に擦り上げ始める。
しとどに溢れ出した先走りが潤滑油となり、滑りがよくなってきた。速度を上げるようにヘルメッポが手を動かすと、コビーはそれに合わせて腰を浮かせた。
「ん……は……あっ……いやっ……!」
感じたことのない快感と羞恥にコビーは声を抑えきれず、ヘルメッポの手の動きに合わせて腰を動かし始めた。
その痴態を目の当たりにしたヘルメッポは、思わず目を見開く。これはただの自慰の手助けであり、性行為をしているわけではないはずなのに―――ひとりの人間が興奮に塗れている姿を目の当たりにして、己の中にも何か言いようのない感情が込み上げてくるのを感じた。
いやいや、ダメだろ。ヘルメッポは脳内に湧いてきた気持ちを必死に振り払いながら、目の前のコビーのモノに視線を向ける。
快楽に侵され、手先に集中できなくなったコビーは、今は力なくただただ陰茎をなぞるだけの行為に成り果てていた。
これでは絶頂はまだ先のようだ。
「下手くそ。ちょっと立て」
ヘルメッポはそう吐き捨てると、コビーの手首を再び掴んで立ち上がらせた。
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