【サンプル】光景

 

 此度の遠征は過酷であった。ただの巡回任務のはずだったが、悪魔の実の力を手に入れた新鋭の海賊団が平和な島に襲いかかった。民間人にこそ被害は及ばなかったが、本部ですら知らされていなかった未知の能力により翻弄され海兵の負傷者多数。事前の調査不足や現地の指揮判断によるミスなど、後悔の残る結果となってしまった。
 しかし不甲斐なさを募らせている暇はない。負傷したものは治療を受け、残った者は事後処理に勤しむ。今できることを最優先し、次には必ず勝つという決意を新たに前へと突き進まねばならぬのだ。
 そう。そこに多少の違和感があっても、だ。
「ん……?」
 主に作戦指揮を担っていたコビー大佐が、徐ろに額を抑える。古傷が傷んだとすら思ったが、そうではない。なにか小さな違和感のようなものが、脳内を蝕んでいるような気がした。
 いつも隣にいる副官——ヘルメッポ少佐の姿は、今はない。戦闘中に敵の能力を受けて、突然倒れてしまったからである。彼は現在、医務室で療養中だ。
「どうされましたか、大佐」
「!?」
 突然――背後から部下の声が聞こえて、コビーは慌てて振り返る。やはりおかしい。普段なら、気配だけで誰が来たか判別できる。それなのに――今の自分は声をかけられるまで背後に「無」を感じて、何故か背後を許してしまったのだ。
「い、いえ、なんでもありません」
 コビーがそう言うと、部下の男は不思議そうに首を傾げた。
「本当に平気なんですか?」
「いいえ大丈夫です。報告を聞きましょう」
 慌ててそう答えると、男は姿勢を正して話を始める。
「そうですか。帰港許可下りました。——未練はありますが、撤退しましょう。大佐」
「……わかりました」
 コビーは首を捻りながらも、帰還命令に頷いた。果たしてこれは気のせいなのだろうか。感じた違和感を拭えぬまま、軍艦へ乗り込み本部への帰路につく。
 デッキで水平線を眺めながら、コビーは先ほどの戦闘を思い返していた。

『このおれ様の術を浴びなァ!!』
 対峙した海賊が、高らかに叫ぶ。掲げた手から放たれた波動は黒い渦を纏い、司令塔であるコビーへと襲いかかった。
『危ない、コビー!』
『ヘルメッポさん!!』
 吹き飛ばされそうになったコビーを庇うように、ヘルメッポが前へと躍り出る。しかし黒い渦はヘルメッポに直撃した途端に大きく広がり、背後にいるコビーごと容赦なく二人を飲み込んでいった。直撃を受けた二人は一瞬静止したかのように固まり、そしてすぐに糸が切れた操り人形のように地面に叩きつけられた。
『ぐ……っ』
 外傷はない。痛みも無いことを確認するとコビーはすぐに立ち上がり、臨戦態勢を取る。しかし、目の前のヘルメッポの様子がおかしいことに気がついて思わず息を呑んだ。
 ヘルメッポは目を見開き、顔面を蒼白に染めて地面にうずくまっていた。苦しそうに荒い呼吸を繰り返しながら、肩が小刻みに震えている。
『ヘルメッポさん!? どうしたんですか! ヘルメッポさん――!!』
 コビーが慌てて駆け寄り、ヘルメッポの肩に手をかける。しかし次の瞬間――「うああっ――!!」とヘルメッポは激しく頭を抱え、うめき声とともに再び地面へと倒れ込んだ。
『……! 皆さん! 彼の救護をお願いします! ぼくは海賊を追います!!』
 ヘルメッポを周囲の部下に任せて、コビーは敵の方向へと一目散に駆けていったのだが――既に敵の海賊の姿はなく、たださざ波の音が聞こえるだけであった。

 航行中もヘルメッポが目覚めることはなく、彼は程なくして医務室へと運ばれた。コビーが予想していた通り彼もやはり外傷は無く、精神面に支障をきたしているやもとの見解だった。コビー自身もその力を食らっているはずなのに、自分だけピンピンしているのは何故なのかはわからない。もちろん自身も検査を受けるべきなのはわかってはいたが、今はとにかくヘルメッポさんを回復させることが先決だ。とコビーは後処理もそこそこに医務室へと駆け出した。
 扉を開くとベッドでヘルメッポが横たわっている。微かな呼吸音と、上下する胸を確認してホッと胸を撫で下ろす。どうやら息はしているようだ。
「来たわね。隊長さん」
 しゃがれた声のドクターが、コビーの姿に気がついてベッドのそばへと近づいた。
「ど……どうなんですか」
「今は鎮痛剤打ってるから寝ちゃったわね。まあじきに目覚めるわ」
 それを聞いてコビーが顔を覗き込むと、確かに穏やかな表情を浮かべて眠っていた。あの時の苦しそうな顔とは大違いで、コビーはひとまずホッと胸をなでおろした。
「よかった……」
「でもちょーっとだけ厄介なことになってるわね。怪我とかじゃなくて、もっと別のほう」
「えっ……!?」
 ドクターの言葉にコビーは思わず声を上げる。
「あの……外傷はないんですよね。彼に一体何が起こったのか教えてくれますか」
 おずおずとそう尋ねると、ドクターはふむ、と顎に手を当てて答え始めた。
「まあ、さっき解析は終わったわ。あれは悪魔の実の能力。要点だけ摘んで言うと、対象の持っている覇気の力を入れ替える能力。対象がアナタと、アナタの副官さんで助かったわね」
「覇気の入れ替え……!?」
 コビーは思わず、まさか、と目を見開いた。人々が持つ潜在能力である、覇気の入れ替え。そんなことが起きたら、いきなり覇気が使えなくなった者も、いきなり覇気が芽生えた者も、まともに戦える状態ではなくなってしまうだろう。そんなひどく厄介な能力を持った人間が居るなんて。と思うと同時に、自分の身に降り掛かった違和感も――途端に腑に落ちた。
「な、なるほど。どおりで声が聞こえないと思いました」
 そう言うとコビーはゆっくりとドクターに向き直った。攻撃を受けてからこの今の今まで感じていた違和感――人の心の声を感じることが出来ないという違和感。それはコビーの持っていた見聞色の覇気が無くなってしまったからだと考えれば合点がいく。
「あら。意外と受け入れてるのね」
 ドクターが意外そうに目を見開いた。それを聞くとコビーは苦笑して、小さく頷く。
「無くなっちゃったら、また鍛えればいいと思うので」
「ほう……殊勝ね。噂通りの実直さ。腑抜けどもに爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
 ドクターは感心したかのようにうんうんと頷いた。そうだ。完全に無くなったわけでもないし、そもそもまるっきり無くなってしまったとしてもそれしかやるべきことはないだろう。
 それよりも気になるのは、ベッドで眠る彼のことであった。
「となるとアナタの力があっちに備わってるというワケだけど……それに関しては平気かしら」
 そう言うとドクターはヘルメッポのほうに目線を向ける。入れ替わってしまったということは、つまり——見聞色のせいで過敏になったコビーの感覚がそのまま移ってしまった。ということになる。
 コビーはヘルメッポの寝顔を見下ろして、静かに答えた。
「どう、でしょうね……そればっかりは話してみないとわからないというか」
「そ。じゃあ起きたら諸々の説明よろしくね。なにかあったら連絡してちょうだい」
 ドクターはコビーにヘルメッポの診断書を渡し、また早々に作業に戻っていった。コビーは一礼してその背中を見送る。
 そうしてまた静寂が戻り、自分の心音だけが聞こえるようになった頃。やっとコビーはゆっくりとベッドのほうへと歩み寄った。

  ベッドの脇に椅子を寄せて、ヘルメッポの寝顔を見つめる。触れると微かに呼吸している感覚が指先から伝わってきて、コビーは思わず涙がこぼれそうになった。
「ヘルメッポさん……」
 頬を撫でるように手を差し出した。しばらくそうしてヘルメッポを見つめていると、瞼がぴくりと動く。やがてゆっくりとその瞳が開かれていき、コビーは思わず息を呑んだ。
「ん……あ」
「起きた? ヘルメッポさん」
 コビーは喜びに胸を躍らせながらその名を呼ぶ。ヘルメッポは寝ぼけ眼でその声を聞いていたが、すぐにハッと目を見開いた。
「……!? コビー!?」
 ヘルメッポは思わず身体を起こし、キョロキョロと周囲を見やる。隣にいるコビーの姿を確認すると、驚いたかのように目をパチクリとさせた。
「身体は平気? ……とりあえず一回落ち着いて」
 コビーがそう言うと一瞬の静寂が場を支配したが、ヘルメッポは落ち着くどころかますます錯乱しているように頭を抑え、コビーに縋り付くように掴みかかった。
「……あっ、あ、う……っ!!」
「ヘルメッポさん、大丈夫だから、深呼吸。ひとまず何も考えないで」
 コビーはヘルメッポをなだめるようにその肩を抱くと、ゆっくりと深呼吸するように促した。ヘルメッポはコビーの腕の中でしばらく息を荒らげていたが、やがて落ち着きを取り戻してコビーに縋り付いたままベッドへと背中を預けた。
「よしよし、良い感じ」
 まるで制御の利かない猛獣を飼いならすかのようにコビーがヘルメッポの背を撫でてやると、徐々に震えが止まっていった。
 もう大丈夫だろうと力を抜き、ヘルメッポの顔を覗き込むと、パニック寸前の泳いだ瞳が、コビーのそれと絡み合った。ヘルメッポは震える唇をなんとか開き、か細い声を絞り出す。
「……おれに、何が起きた?」

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光景
敵の攻撃で覇気が入れ替わってしまった二人。思わぬ形で見聞色の覇気が手に入ったヘルメッポとそれを失ったコビー。戸惑いつつも事件解決のため奔走するが、コビーの様子がおかしくて……。
光景 - カラクレナイ本舗 - BOOTH
◇2026/02/01 VALENTINE ROSE FES day-2 愛する喜びへるもんじゃなし! VR2026にて頒布 小説/A5/56p/R-18あり 敵の攻撃で覇気が入れ替わってしまった二人。思わぬ形で見聞色の覇気が手に入ったヘル...

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