カルテット 終幕

 

 錦秋の候。
 秋も深まる十一月の初旬、鳴苑高校では文化祭が開かれていた。校内は賑やかな雰囲気に包まれ、沢山の生徒と客で溢れかえっている。
 クラスの展示や様々な屋台が並び、それぞれ役目のある生徒たちが慌ただしそうに動き回っており、校内はいつもと違う独特な雰囲気を醸し出していた。
 その中でも一番の目玉といえる校内ステージでは、鳴苑吹奏楽部とその他自由な有志たちによる最後の公演”楽しい音楽”メドレーが、割れんばかりの拍手を貰ったところであった―――。

「川和先輩!」
 ステージを終え、川和達が廊下の隅で待機をしているところに、明るいショートヘアの少女―――演藤さやかがこちらへと駆け寄ってきた。
「ま、間に合った……か、管崎先輩に、星合先輩も」
 その場に川和のほかに舞と美子もいることを確認して、彼女は一息ついて口を開いた。
「せ、先輩方、最後の公演お疲れさまでした!」
「うん、演藤ちゃんおつかれー」
「お疲れ様。さやちゃんのコンバスすごくよかったよ!」
「そ、そうですかね……ありがとうございます!」
 褒められて少しだけ頬を染める演藤に対し、美子と舞の二人は目を見合わせて微笑んだ。
「あ、あの……ちょっとの間だけだったけど、先輩たちと一緒に演奏できて楽しかったです。みんなで奏でた虹の音……忘れません!う、ううう……」
 そう言う演藤の目尻には、仄かに涙が浮かんでいた。
 それを聞いて美子と舞の二人はしんみりとした空気になり、彼女と同じように涙が潤む。
「もう……ちょっと泣かないでよ演藤ちゃん、アタシまでうるっときちゃうじゃん~」
「あはは……すみません」
 演藤は袖で涙を拭くと、笑みをうかべつつ少しだけ真面目な顔を見せた。
 そのまま彼女は、目の前の三人に話し始めた。
「でも、ちょっとだけ心残りがあって……ホントは、皆さんの「桜の音」をもっと聞きたかったなーって、少しだけ思うんです」
 そう言う彼女の言葉を聞いて、舞も美子も少し困ったような表情を浮かべる。
 だが、今までの流れを黙って聞いていた川和が演藤のほうを向き、ようやく口を開いた。

「残念ながら今のオレたちは「桜の音」には、もう固執していない」
「はい……」
 演藤は少し残念そうに呟いて、下を向いた。
「……だが、「桜の音」が死んだわけでもない」
「!」
 その発言の意味するところを理解して、彼女は顔を上げた。
 そこには無表情ながらも、どこか優しげな表情をした川和の姿があった。

「どこかでまた未来の……そうだな、花咲く季節にでも巡り会えたらまた「桜の音」を目指してもいいのかもな……諦めなければな」
「えー、それって結局アタシ達辞めらんないじゃん」
 美子が少し不満げに言葉を零すと、苦笑しながら川和が続けた。
「……もとより辞めるつもりなんてないだろ? お前も、舞も」
「まぁ、そうだけど」
 その様子を見ながら舞は微笑んで、演藤に向かって話しかけた。

「……ありがとねさやちゃん。ずっと「桜の音」に憧れてくれて。……でも今後は、さやちゃんなりの鳴苑の音を創り上げててほしいなって、思うんだ。……本当は神峰君とかとも、もうちょっと仲良くしてほしいけどね」
「は、ハイ! ……最後はちょっと納得いきませんけど」
 少し不服そうに言葉を零す演藤だったが、すぐに笑顔を見せて元気に返事をしていた。

「あれ、そういえば金井淵先輩は……?」
 キョロキョロと辺りを見回しながら、演藤は首を傾げた。
「さあな……どっかで休憩してるんじゃないか」
「アタシ、探してきます!」
「いや―――演藤」
 言うが早いか舞台裏から飛び出しそうになる彼女を軽く引き留め、川和は静かに言葉を零した。
「……積もる話もあるだろうから、見つけても静かに入った方がいいかもな」
「?」

 時を同じくして、ステージを終えて裏の楽屋にいる神峰翔太が、撤収作業のため一人荷物を纏めていた。
 引退を迎える先輩たちに挨拶等を交わしていたら帰りが少しもたついてしまい、最後に彼一人が残されてしまったのだ。
―――いい演奏だったな。
 誰も居なくなったその控室で、神峰はそう思い返して手元の指揮棒をギュッと握りしめた。

「神峰君!」
 突然、ポンと肩をはたかれて神峰が振り返ると、曲山・クリストファー・晴海が目の前に立っていた。
「キョクリス先輩!?」
 声の主を確認して驚く神峰を見て、曲山は満面の笑みを浮かべた。
「お疲れ様です! 片付け大変でしょ、持ちますよ」
「へ!? いやいや、他校の人にそこまでさせるわけには」
「いーからいーから! バンド組んだ仲だと思えば」
 そういいながら曲山は手際よく、神峰の近くにあった楽譜の束を持って歩き始めた。
 神峰は最後まで遠慮するように言葉を濁したが、そのまま楽屋から出ていった曲山を追いかけるように歩き始めた。
 楽屋から廊下へと出ると、西から差し込む夕日が二人を照らし出す。そこから抜けた先からは、次のステージに出る人々の声が聞こえてきた。
―――もうすぐ文化祭も、終わりを迎えようとしている。
「……でも神峰君ホントーにすごいですね! まさか優勝まで漕ぎつけちゃうなんて」
「いえ、そんな……本当にみんなのおかげッスよ」
 少し興奮気味に話す曲山を横目に見て、神峰は謙遜するように言った。
 そう、鳴苑高校は彼の指揮で全国制覇の偉業を成し遂げたのだ。―――自らが遠い夢だと思っていたその目標を、この少年は僅か一年で達成してしまった。
 それに対しもちろん悔しい気持ちはあれど、どこか誇らしい気持ちにもなり曲山はそっと目を細めた。
「キョクリス先輩は、これからどうするんですか?」
 ふと思いついたように、神峰が尋ねてきた。
「えー、それ受験間近の三年に訊きます?」
「あっ……す、すみません」
 思わず謝る神峰を尻目に、曲山は少し考えるようにして言葉を零す。
「まぁ大学……音大も受けてみたいし、そうじゃなくてもやりたいことあれば……でもこないだ行ったイギリスもよかったし……楽器片手に人と人とを繋ぐ世界一周! もいいですね」
「はは、ワールドワイドッスね」
 楽しげな口調で語る曲山につられて、神峰も思わず笑顔を漏らす。
「神峰君もどうですか? 案外楽しいかもですよ」
「いいッスね、来年また考えときますよ」
 神峰の言葉を聞いて、曲山は満足げな表情を浮かべた。
 そうしていると、ふと何かを思い出したかのように曲山は顔を上げて呟いた。
「……救うとまではいかなくても、音楽の力で誰かと繋がってたらいいな、とは思いますね。なんだかんだ言って楽しかったのは確かなので」
「そう……ですか……」
 そう言ってはにかむ曲山に対して、神峰は少し言葉を濁らせた。
―――言っていることは勿論わかる。
 ただ、それを言葉にしているときの彼の「心」に少し影があることに気が付いた神峰は、なんと言って良いかわからず曖昧な笑みだけを浮かべた。
「ええ……本当に」
 そう言葉を零しながら、曲山は目的地の音楽室のドアを開けた。

 こちらは音楽室―――曲山と神峰がやってくる少し前の話。
「よぉ、待ってたぜ」
 金井淵が音楽室の扉を開くと、管崎咲良がそこで待っていた。
 つい先ほど会ったばかりだったが、もうすでに帰っていたものだと思っていた金井淵は思わず目を見開いた。
「咲……どうしてここへ」
「だってやることねーんだもん。みんな忙しそうだしさぁ」
 そう言いながら咲良は車椅子から降りて適当なイスに座り、足をバタバタさせていた。
 金井淵はその様子を見て、「まぁな」と静かにため息混じりの相槌をうった。
「それより! さっきの演奏良かったなぁ。なんかみんな個性強いのに上手く纏まっててさぁ……」
「……咲」
 楽しげに話し始める咲良に対し、金井淵は言葉を遮るように彼へと近づき名前を呼んだ。
「何だ?」
 咲良はその金井淵の顔がいつもより少しだけ真剣味を帯びていることに気が付き、静かに次の言葉を待った。
「……見舞いに行けなくて、すまなかった」
 突然頭を下げ謝罪する金井淵に対し、咲良は一瞬呆気に取られるもすぐに笑顔で返した。
「別にいいぞ。まぁ確かにヤバかった時もあったけど、そんときはそんときだし」
 それに、と咲良は続ける。
「結局行くか行かないかなんてお前自身の選択だ。誰かに強制されて行くもんじゃねえし、それに対して罪悪感は本来感じるもんじゃねえんだ」
 顔を上げた金井淵に向かって、咲良はニカッと笑って答えた。
「……元はと言えば、オレがヘマやらかしたせいだし」
「……」
 咲良の言葉を聞いて一瞬金井淵の表情が曇りかけたものの、咲良は気にせず言葉を続ける。
「でもお前律儀にあの木の下で待ってたよなあ、壬は黙ってたけど、流石のオレでも気付いてるわ」
「……気付いてたのか」
「わはは、オレの洞察力舐めんなよ。あ、暇だっただけかもしれんけどな!」
 豪快に笑う咲良を見て、金井淵は何も言わずに少し俯く。
 それに気が付いた咲良は、神経の通った手を伸ばし金井淵の頭を不器用に撫でた。
「……やめろ」
「へへ、良いだろ別にぃ~」
 その手を払い除けようとする金井淵だが、咲良が楽しそうにしている姿をみて思わず手が止まった。
「それにしてもだ、お前老けたか? ずーっと眉間に皺寄せちゃって。五十歳くらいかと思ったわ」
「……はぁ?」
 唐突に発せられた咲良の言葉に、金井淵は顔を顰める。
「そんなんで皺寄せてたら人望なくなるぞ。ほら、こうやるんだこう―――ちゃんと口角も上げて」
 咲良はそうやってからかうように笑い、自らの頬を持ち上げる仕草をする。
 それを見て怪訝な表情でため息をつく金井淵のことなどお構いなしに「やってみろよ」と言いながら、咲良は無理やり指先で彼の口角を上げさせた。
 またもや拒否しようとした金井淵だが、咲良の有無を言わせぬ勢いに押されてされるがまま口角を上げる。
 その瞬間、窓の外から風がふわりと吹いて、何処かにあった備品の紙吹雪が散らばる。
―――それを纏う風に黒髪を靡かせながら、咲良は満足気に微笑んで言った。

「うん、やっぱりお前は笑顔のほうが似合うよ。涼」

「……全く……お前は」
 そういって目を細めて笑う咲良に、金井淵は再び目が潤みそうになりながらも不器用に微笑んだ。

 廊下を歩く生徒たちの声が聞こえてくる。そろそろ皆荷物置き場である音楽室へ帰る頃なのだろう。
 金井淵は慌てて袖で涙を拭い、「そろそろ帰る頃だろ」と言い再び咲良のほうを向いた。
「あれ、咲、なんか付いてるぞ……桜?」
「えっマジ? 取ってくれ!」
 散開する紙吹雪に交じる―――どこからかやってきた桜の花びらを取ろうとして、金井淵はそっと咲良のほうへと顔を近づけた。

 ステージから帰ってきた曲山が、ガラリと音を立て音楽室の扉を開く。
 共に居た神峰とともに辺りを見渡すと、金井淵と咲良が部屋の窓辺近くに座っていた。  顔を近づけていたせいなのか、部屋の入り口から見ると窓辺の二人が―――まるでキスをしているように見えた。
 それを見て曲山は動揺し思わず―――ドサリ、と手元の楽譜を取り落としていた。
「? キョクリス先輩?」
 状況に気が付いていない神峰は、不思議そうに隣の曲山を見上げた。

「あ……お前は」
 振り返った金井淵が、言葉を零す。
「おー、晴海くんじゃねェか、元気してたか? っつてもさっきぶりだけどな」
 曲山の姿に気がついた咲良は、ひらりと片手を上げていつものように挨拶をした。

「あ……はは……」
 一方の曲山は何故か乾いた笑みを浮かべ、声にならない声を上げていた。
 その様子に気が付いた金井淵が、咄嗟に咲良から離れる。
「ん? どうしたんだ」
 咲良はそれにも気にせず、キョトンとした表情で皆を見ていた。
 曲山は、引き攣ったように口角を上げながら言葉を零す。
「……よ、良かったじゃないですかぁ、二人とも。仲直りできたんですね」
 
 その瞬間、堰を切ったように踵を返し、曲山は外の廊下へと駆け出していった。
「えっ……キョクリス先輩!?」
 音楽室を出ていった曲山に対して、神峰が振り返って追いかけようとした。
 だが追おうとした神峰より早く一つの影が部屋の入り口を通り過ぎ、まっすぐに廊下へと向かっていった。

「待て……待ってくれ」
 自らの背後に響くその声を聞いて、曲山はようやく足を止めた。
―――それは己が一番望んでいて、今一番聞きたくない声。
 曲山はゆっくりと後ろを振り返る。
 そこには、息を切らしながらも真っ直ぐこちらを見る金井淵の姿があった。
 普段ならしないであろう彼のその姿に、曲山は思わず歯を食いしばる。
「何ですか」
「曲山、すまない」
 金井淵はそうやって謝罪の言葉を述べ、そっと曲山の手を―――あまりに簡単に、あっさりと取った。
 突然のことに、曲山は動揺を隠せずに言葉を飲み込んだ。
 それに気がついていないように、金井淵は言葉を続ける。
「あの時のオレは強情だったし、お前がオレを―――オレたちを変えようとしてくれてたことも覚えてる。結果論になってしまうが、お前のしようとしたことは決して間違っていなかったんだ。だから―――」
 一度言葉を切り、金井淵はしっかりと曲山へと目を合わせて言った。
「……ありがとう」
 その一言を聞いた時、曲山の中で何かが崩れ落ちていくような感覚を覚えた。
 目の前には、額に汗を溜めながら自分を見つめる金井淵の姿。
―――一年前に、雨の中で自分に向かって冷たい声で言い放った彼の姿と重なり、ブレていく。
「……」
 曲山は、何故か返す言葉が出てこなかった。
 静かに握られた手が、行き場を失い力を失っていくのを感じる―――。
 それが聞きたかったはずなのに。遅ればせながらも報われた、はずなのに。心身ともに真逆の反応を示そうとする。

 手を取られたときに、曲山の中で確かに感じたものがあった。
 それは、今の金井淵涼の手の感触が以前のものとは明らかに違う、というものであった。
 
 それと同時に、あのときの彼は二度と手に入らないのだ。―――いや。あのときの彼は、彼ではなかったのかもしれない。
 輪郭がぼやけて、視界が霞む。
 あのときの彼は一体誰だったのだろう。考えれば考えるほど、ぬるりと氷が解けてしまったかのようにすり抜けてしまう。

―――ああ、そうか。皮肉にも、今気が付いた。
 好きだったんだ。彼のことが。
 だけどそれは、いま手を取っている青年の姿では、ない。
 だから―――

「……ええ。よかったです」
 曲山は彼に背を向けながら、静かに微笑んだ。

 

【完】

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