高校最後の文化祭は、存外余韻に浸ってる暇なんてないのだと知った。
三年生はクラスの出し物も無くそこまで関与するものはないのだが、それでも片付けやらなんやらに駆り出されるばかりで、これで部活引退だというのに慌ただしさにすっかり飲まれてしまっていた。
「あの……オレ、先輩と一緒に演奏できて楽しかったです!」
ステージの椅子を片付けていたら、神峰翔太に話しかけられた。さきほどまであちこち周っている様子を見ていたので、おそらく三年全員のところへ挨拶をしに行っているのだろう。
「月並みだな」
「で、でもちゃんとガチで思ってるので!」
皮肉を言ったつもりだったのだが、神峰はしっかりとこちらを見据えて食らいついてきている。昨年の秋の入部当初の様子とは大違いだ。
「来年は、オレらが三年なんで……先輩たちみたいに後輩たちを指導できるようにがんばります!」
神峰にそう言われて、そうか、これからはコイツが最高学年になるんだな。とふと気が付いた。
今後のこと、三年(オレたち)の居なくなった後、どうなっていくのかはわからないけれども。
これからも続いていく鳴苑の虹(おと)に、期待していないと言ったら嘘になる。
――オレも変わったな。そう一人心の中で思いながら、神峰のほうへと向き直った。
「……そうか、まあ、だったらアイツらを頼んだぞ」
「……!は、ハイ!」
その返答に神峰は一瞬意外そうな反応をして、大きく頷いた。
◇◇◇
自分のトロンボーンを背負って音楽室へと向かう。文化祭中は音楽室を吹部の控室兼荷物置き場にしており、自分たちのカバンをそこに置いているので取りに行くためだ。
谺先生に、今日で引退する人は帰りに自分の楽器も持ち帰るようにと言われている。
きっとこのトロンボーンを担ぐのも暫くは無くなるのだろうと考えると、少し足取りが重くなった。
ここに来るのが少し早かったのか、周りには誰もいない。皆はまだ片付けをしているのだろうか、と考えながらオレは音楽室のドアを開けた。
音楽室は窓が開いており、軽い突風のようなものが吹いていたので一瞬身じろぎをした。
ふわりと風に揺れるカーテンの奥に人影が映る。誰なのかとよく見てみると、見覚えのある金髪の男が窓の外を眺めていた。
「曲山……」
「あ、金井淵君」
自分の存在に気づいた曲山が、こちらを振り向いた。
「何やってんだ。ここは吹部の荷物置き場だぞ」
「あ、自分の楽器も置かせてもらってたんですよ。ボクはちゃんと文化祭のゲストなので」
注意をしようとしたが、曲山は明快に微笑みながら自分のトロンボーンを指さしながら答えていたので、口を閉じた。
そうか、オレはてっきりあのときステージに飛び入りした部外者だと思っていたのだが、確かにいつもの制服ではなくかっちりとしたベストを着ていたので、曲山の言う通りしっかりとした出演者扱いで許可はもらっているのだろう。
「最後のステージ、終わっちゃいましたね」
曲山が再び窓の外を眺めながら呟いた。窓の外では生徒たちが片付けを進めており、文化祭の終わりを色濃く感じさせた。
「お前はもう終わってるだろ」
そう突っ込むと、曲山はそうでしたねとふふっと微笑んだ。
「そうだ、最後に金井淵君に訊いてみたいことがあったんです」
「……何だ?」
ふと、思い出したように曲山が尋ねた。
普段なら、どうせろくでもない事だろうと思い答える気になれないのだが、「最後」という言葉を聞いて、最後くらいならまあ、答えてやるかと椅子に腰を下ろした。
――だが。
「金井淵君は、ピアノ弾かないんですか?」
……その質問があまりにも予想外だったので、少し狼狽えてしまった。
◇◇◇
「……それ、どこで聞いた」
「ええまあ、中学の頃にね。コンクールに名前があったような気がしたので」
そう言いながら、曲山は音楽室のピアノの鍵盤蓋を開けた。少し埃っぽかったのか、ポケットからハンカチを取り出して鍵盤部分を拭きはじめた。
他校の備品なのに、なんでそんな堂々とできるんだ……と呆れていると「どうしました?弾かないんですか?」と曲山に怪訝な顔をされた。
「……オレは、弾かないことにしてるんだ」
「……なんでですか?」
一瞬間をあけたあと、曲山が静かに尋ねた。
「まぁ、色々あってな」
オレはそう答えた。色々、とごまかすのは少し卑怯な気もしたが、別にわざわざ教える義理もないしな、と思った。
「そうなんですか、もったいない。ボク金井淵君のピアノ、聴きたいなぁ」
曲山は静かに呟いた。その声色には、本当にただただもったいないな、という純粋な気持ちが感じられた。
別に、もうピアノを弾いてはいけないという決まりがあったわけじゃない。多少ブランクがあっても、弾こうと思えばいつでも弾けたはずだ。だけど、あの事故から、自分が咲良の全てを奪った時から、それをする価値がないとずっと閉じ込めてきたんだ。
きっとそれを今の咲良に話したら、馬鹿じゃないのって笑うだろうが。
「それは……オレが決めることじゃない」
特別な意味がそれほどあるわけではない。鍵盤を指で弾けばいいだけ。だが、自分にとってその行為はとても重く、今ここでするべきではないんだと心の奥が騒いでいる。
「……もし、弾くことがあるとするならば……アイツが望んだら、かな」
「アイツって……今日、ステージで弾いてた人ですか?」
「……」
何故か、そうだと言うことが出来なかった。見栄なのか、プライドなのかもわからない。あの時、涙まで見せてしまったから、もう間違いなくバレているというのに。
そこから、永遠のような長い沈黙が続いていた。言葉に言い淀んで、視界を逸らす自分に対し、曲山は強くまっすぐにこちらを見つめていた。その目には、力強さの中に、どこかもの寂しさもあるような気がした。
「じゃあ、弾かないならボクが弾いちゃおうっかな!」
沈黙にしびれを切らしたのか、曲山は唐突に音楽室の棚を漁り、いくつかの楽譜を抱えてピアノの椅子に座った。
「弾けるのか、お前」
「いやぁ、全然?でも、きらきら星くらいなら弾けるかな~」
そう言って曲山は鍵盤を叩き始めた。本当にピアノをやったことがないのか、楽譜を読みながら「ええっと、和音がこれで……」といいながらテンポもぐちゃぐちゃなきらきら星を奏で始めた。
そのテンポのおかしさにオレは内心吹き出しながらも、気まずい沈黙が一旦破られたことに安堵した。
「まぁ、いいけど気が済んだらさっさと帰れよ」
オレは本来の目的であるカバンを持って、音楽室のドアから外へ出ようとした。
「あ、待ってください!」
すると曲山はいったん演奏を止め、オレを引き留めるように言葉を発した。
「弾く気になったら教えて下さい。ボクは金井淵君の音、好きなんで」
そういって曲山は、静かに微笑んでいた。
◇◇◇
人が少しずつまばらになっていく校庭を窓から眺めている。そろそろここに他の部員の人たちも来るだろう、と曲山は思った。リンギンガーデンの人たちなら挨拶くらいならしてもいいかもしれないが、あまり長居はできないなと考えて。目を細める。
「はぁ……」
金井淵涼が居なくなった音楽室で、曲山は先程まで持っていた楽譜を近くに放り、一人ため息をついた。
「はは、なんか、なんでだろう……」
「妬いちゃうなぁ」
誰にも聞こえないような声でそう呟く。
少し冷たさの残る風に吹かれて、楽譜はふわりとすり抜けて床へと広がっていった。
――ボクは運命の人じゃないんだ。
至極当たり前なんだけど。
見たことのないキミを見ると、やっぱり心がざわつくんだ。
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