輪廻転生という言葉は、この世界に来て初めて知った。
魂は常に世界を巡っており、死しても新たな肉体へと生まれ変わり続ける。と、とある文献に書いてあった。にわかには信じられないけれど、現実として自分が存在しているのだから否定なんてできるはずがない。
肌が灼ける匂いと、血の味を今でも覚えている。その存在は圧倒的な力を以て、己の身を焼き———魂すらも焼け尽くさんとしたのだろう。感じる熱さと全身を蝕む痛みの中で、能力を持たない自分はただひたすらに無力で。
心配そうに駆け寄る仲間たちの腕の中で、ぷつん、とまるで糸が切れたかのように意識を失った。瓦礫の落ちる音と皆の叫んでいる声が、突然遠くへいってしまったことだけは覚えている。そうして混濁する視界と、延々と続く暗闇のなかでぼくは必死に藻掻くように手を伸ばしていた。
そうして気が付いたら、まるで違う時代で目を覚ましていたんだ。
世界は一体全体どうなってしまったのだろうか。自分が生き続けることで変わったものなど無いのかもしれないけれど、海が荒れ、覆いつくされた世界と、隠されし真実。
動けるようになって直ぐに文献をしらみつぶしに探したけれど、大航海時代の記述には似ても似つかない名前の者ばかり。唯一忌まわしきティーチの名を関した男の名や、キッドやドレークさんに似た名前はあったのだが、どれもこれも当人とはまるで違う見た目だ。
何より、ルフィさんの名前がひとつもなかった。
きっとこの世には、あの時代に生きた海賊なんてひとりも居ないのだろう。後世に伝える文献すらも焼き尽くされ、海へ沈み、百年の空白のように無かったものとして扱われてしまったのだろうかと考えると、ぼくはどうしようもない無力感に苛まれた。悪名高き天竜人が居なかったり、今の世界が海で満ちきっていないことを考えると、世界に対する希望はまだあるのだろうけども。
一応、自分の名前も調べてみたけど当然のように見当たらなかった。いやまあ、図々しいのは百も承知なんだけども。コビーたい……ええと殉職なら……えっもしかして中将!? いやそんなガープ中将と同じなんて烏滸がまし……は、話を戻そう。とにかく、自分も含め知ってる人物はすべてこの世界にまるで無かったかのようにされ、それでもなお世界が回っているという認めたくない事実がそこにはあったんだ。
涙なんて、とうの昔に枯れている。組織として、正義を背負うものとして立ち上がり尽くすことができなかった無念さに押しつぶされる日もあれば、間際でも腕に抱いて必死に声をかけてくれた同胞……ヘルメッポさんに最期の言葉を投げかけてやることもできなかった後悔に襲われる日だってあった。
ヘルメッポさんは、SWORDは、……中将はあの後どうしてしまったんだろう。ぼくが死んだあとで世界に何が起こっていたのかは知る由もないけれども、どうしようもないことばかり考えてしまって、心が擦り切れそうになる。
親しい人、愛する人にさえ何もしてあげられなかった、この世界を恨んでいる。
ピピピ、という規則的な電子音が脳内を刺激する。微睡む視界をゆっくりと持ち上げて目を擦ると、カーテンから差し込む光が眩しくて思わずもう一度目を瞑った。
手にしたスマホの時刻を眺めてようやく身体を起こすと、ぼんやりとした意識のまま部屋の外へと飛び出した。
あれから17年。そうしてぼくは、高校生になったんだ。
◇
チャイムの音がこだまする。
ゴールデンウィーク明けの教室は、未だ怠惰な空気に満ち溢れている。とうとう受験を控えることになった高校三年生の教室なのにも関わらず、春眠暁を覚えずが如くまるで春休みの続きのような気怠い雰囲気が辺りを漂っていた。
それはこの学校の学生であるコビーも例外ではない。桜が散り、その合間から若葉が生えつつある窓の外を眺めながらコビーは欠伸をひとつ漏らした。
周りの他の生徒達も、いつも通りとばかりに談笑を重ねている。休みにどこに行っただとか、新しいゲームの話とか。大抵はとりとめのない話なのだが、それでも話は尽きないらしく各々楽しげな雰囲気だ。
そうしているとガラリと教室の扉が開き、このクラスの担任である年配の教師が壇上へと上がった。パラリとファイルを開き、朝のホームルームの開始を皆に告げる。
「おーい、始めるぞー。と、その前に……。えー……この時期に悪いんだが、クラス編成の兼ね合いで今月からうちのクラスで教育実習を請け負うことになった。みんな仲良くするように」
そう言うと生徒たちがざわざわし始めた。確かに、毎年この時期には居たような気がしたが、まさか三年にも適用があるとは思っていなかった。どんな人なのかをわいわいと語る生徒たちを尻目に、コビーはさして興味も湧かず今日の小テストの範囲をぼんやりと眺めていた。
―――しかし、次の言葉を聞いてコビーは思わず顔を上げる。
「教育実習生の、ヘルメッポ先生です」
そう担任に促されガラリと扉が開けられた先には、見覚えのある姿が映っていた。
「!!」
コビーは驚いて目を見開いた。忘れるはずもない。肩まで伸ばしたブロンドの髪と、色気のある瞳と特徴的な顎。隊服ではなくスーツに身を包んだ出で立ちは新鮮に感じられるが、あの頃のままのヘルメッポさんそのものだった。そんなはずはないと心の底から理解はしていても、コビーの目にはそうとしか映らなくて頭が混乱していた。
「ど、どうしたコビー、急に立ち上がったりして」
担任の先生がコビーを窘める。驚きのあまり、いつの間にか席を立ってしまっていたようだ。生徒たちも一斉にこちらへと注目している。
「え! あ、いや、すみません……」
コビーはしどろもどろに返事をして席に座り直した。
「すいませんね……あんまこういうことしない生徒なんですが」
「いえいえ、元気でよろしいですね」
ヘルメッポはそう言い軽く会釈をすると、教卓の前に立ってようやく話を切り出した。
「教育実習生のヘルメッポです。一応英語担当で……あー……あんま敬語とか得意じゃないから、気軽に接してほしい。これからよろしくな!」
朗らかにそう言うと生徒たちを一瞥し口角を上げた。少しだけぎこちない笑顔は、あの頃と全く変わっていない。
コビーはもう、居てもたってもいられなかった。
◇
「ヘルメッポさん! お話させてください!!」
昼休み。生徒たちが教室にたむろするか購買へと出かけている中、コビーは反対方向の職員室へ真っ先に向かっていた。
もちろん、目当ては教育実習のヘルメッポ先生だ。
職員室のパイプ椅子に座っていたヘルメッポは、突然現れたコビーに面食らったように目を丸くさせた。
「初日からグイグイ来るなお前は。あと、さん付けじゃなくて先生と呼べ」
そう言いコビーを窘めると、ヘルメッポは食べかけの菓子パンをしまいつつコビーのところへと近づいた。
「じゃあ、先生。聞きたいことが山ほどあるんです」
「何だお前。授業の質問なら担任にしろよ」
「ヘルメッポ先生じゃないとダメなんです!」
コビーが必死に食らいついているので、ヘルメッポは呆れたような声を上げた。
「ええ……何? いいけど、雑談はしねェぞ。何について聞きてェんだ」
そう言うとコビーは少しだけ考えるような仕草をして、再び口を開く。
「じゃあ、世界史の話で」
「おれ英語担当なんだけど……」
そんなヘルメッポの言葉を無視して、コビーは話を続けた。
「はい、あの……先生は輪廻転生って知ってますか」
輪廻転生。
そんな素っ頓狂な話を信じてもらえるか不安だったのだが、もうなりふりかまってはいられなかった。気がついたらコビーはまるで夢物語を語るかのようにヘルメッポに捲し立てていた。
「転生する前は、ぼくは軍人で」
「ほうほう」
「海を跋扈する海賊から世界の秩序を守っていたんです」
「なんじゃそりゃ、漫画の世界かよ」
「ほんとなんですって! それで、世界の命運を懸けた戦いで、志半ばで倒れて……」
コビーはそこで言葉を詰まらせた。話しているうちに、当時の感情をだんだんと思い出して鼻の奥がつんとした。ヘルメッポの目を真っ直ぐに見つめると、その目の奥にかつての彼の姿が浮かんでくるようだった。
「……いつの間にかここへ生まれ着いたんです」
コビーが話し終わると、ヘルメッポは退屈そうな表情でコビーの瞳をじっと覗き込んだ。
「ふーん、で、その話をなんでおれにしたんだ」
ヘルメッポは不思議そうに首を傾げる。
「やっぱり、覚えてないんですね……」
そう呟くとコビーは心の底から残念そうな顔を浮かべた。初対面から感じ取ってはいたことだが、今のヘルメッポには前世の記憶などとうに無いのだろう。常識的に考えるとむしろ自分のほうがイレギュラーなのだろうとは思うが、それでもひどく寂しさが込み上げる。
苦しい胸をギュッと抑えながら、コビーは言葉を続けた。
「……ヘルメッポさ……、ヘルメッポ先生はその世界では同じく海軍にいて、ぼくの大切な相棒でした。圧倒的な力に蹂躙されながらも、一緒に切磋琢磨して、お互いを信じ合って、その……」
「……」
コビーは恥ずかしそうに言葉を詰まらせる。前世でも面と向かって言ったことのない言葉がスラスラと出てきて、なんとなく面映ゆくなった。何も言わずにじっと見つめている先生の視線が、少しだけ痛い。
「えと……生まれ変わっても、ヘルメッポさんと一緒に居たいって思ったんです」
ちょうどその時、昼休みの終了を告げる予鈴の音が鳴り響いた。
「ああっ」「時間だな」ヘルメッポはちらりと時計を一瞥すると、残念そうにポンと肩を叩いてコビーを職員室の外へと促した。
外へ追いやられながらも、コビーは慌てて最後の質問をヘルメッポへと投げかける。
「先生! 最後に、……この話、信じてくれますか?」
それを聞いたヘルメッポはうーんと眉を寄せたあと、コビーの目を真っ直ぐに見つめてへらりと笑った。
「ま、考えてやるよ」
その言葉が嬉しくて、コビーは仄かに頬を赤らめた。
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