ヴィーゲンリードでまた明日

 

 どんな一日だって、夜は平等にやってくる。
 勝利の美酒に酔いしれた日だって、絶望の淵に立たされた日だって。いつしか世界は暗闇に覆われ、どこか寂しいようななんともいえぬ静寂が訪れる。
 そしてその頭上には、いつだって無数の星が瞬いているのだ。
 夜も更け、酔っ払いの歓声すらも聞こえないほどの深い静寂の中、佐和田令助は自宅のベランダの手摺に腰掛け、ぼんやりと空を眺めていた。
 この時間では誰一人、気にする人などいない。そうやって何事もなく夜は過ぎ、世界は何事もなく日常を繰り返していくのだろう。

「眠れないのかい?」
 ふと、背後で声が聞こえたと思ったら、カラカラと軽い音をたててベランダの窓が開かれ、金色の長髪の男が顔を出した。
 ああ、そういえば今日から家にコイツが居たんだった。と令助はベランダへ出てきたアルベール・グラハシのほうへ振り返る。
 まだ夜風は肌寒く、Tシャツ姿で外へ出たのを後悔するように「まだちょっと冷えるね~」と言い、少し身震いをするアルベールを横目に、令助はハハッと愛想笑いをし、コクリと頷いた。
「まあ、無理もないさ、常人には付いていけないような話ばかりだろうからさ」
 そう言ってアルベールは令助の隣に腰掛け、「どこら辺だろうな~」と軽快に星空を見渡していた。
「確かに、かれりさんと出会ってから信じられないことばかりです」
 令助はそう自嘲気味に言葉を吐いた。
「いつ、スペースデブリが降ってくるか、わからない。そんな事考えてたら、どうしても目が覚めてしまうんです……」
 そう言い、令助はそっと目を細めて空を眺めた。

 都会だというのに、目の前には今にも降ってきそうなほどの星空が広がっている。
 きっとあの中にかれりはいるのだろう。そう確信しながらも、どこまでも深い底知れぬ宇宙の奥、その先は何が起こるかわからない未知の領域。
 一寸、一秒先すらも不確定なその事象を考えるたびに、令助は眩暈がしていた。
「空を見てる間は落ち着くんです。かれりさんが空から見てるって考えると不安な気持ちだって忘れられ……るんで……」
「おっと」
 令助が突如、力が抜けたようにフラリとよろけた。
 アルベールはすかさず、令助の身体を支えるように受け止めた。
「気持ちはわかるけどね、睡眠は人間にとって不可欠だ。君、このままじゃ本当にダメになってしまうよ」
「でも……」
「ただでさえ衛くんのお世話もあるんだろ?今日はもう寝たほうがいい」
 アルベールはそう忠告をしたのだが、令助は身体を預けたまま「でも……」を繰り返していたので、アルベールは念動力を用いてふわりと浮き、そのまま半ば強引にベランダから自室へと送り込んだ。
 耳元で「ず、ずるい!」という声が聞こえた気がしたが、アルベールはひとまず無視をした。
 そのままベランダの窓を閉める直前、アルベールは空に向かって話しかけた。
「かれりちゃん、令助くん少し借りるよ。なぁに、一日だけさ。戻ったら君も存分にするといい」

◇◇◇

「え」
 「名案があるんだ」とアルベールに言われ、令助は言われるがまま寝室の布団に戻ったのだが、令助が見たのはアルベールが客用の布団を引き摺って自室に現れる姿だった。
 その案にもビックリしたのだが、衛が隣で寝ているので、まずは音を立てないようにとアルベールに忠告した。
 令助は、至って静かな声で話しかけた。
「いや、どういうことですか」
「こういうときは人肌が恋しくなるものさ、君もずいぶんご無沙汰だろ?」
「な!?そ、それはそうですけど……大体男と寝る趣味は……」
「いいからいいから、ほら」
 そう言ってアルベールは自分の布団に潜り、令助のシーツをポンポンと叩いた。

「おいで。僕はかれりの代わりにはなれないかもしれないけどね」

 それを聞いて、令助は初めは不機嫌そうな表情をしていたが、観念したのか、ため息を一つつき、素直に自らの布団へと身体を預けた。
「あんまり近寄らないでくださいよ」
「わかってるよ」
 アルベールはにこりと微笑み、隣で横たわる令助をじっと見つめていた。令助は目が合うたびに視線を逸らしていく。
 ただでさえかれりと同じ色の目で、なんとなく目を合わせられるのは苦手だった。
「そうだ、子守歌でも歌ってあげよう」
 唐突なアルベールの提案に、ええ……と令助は困惑の色を見せていた。
 そんな反応に全く靡くことはなく、アルベールは思い出すように子守歌を口ずさみ始めた。

◇◇◇

「Schlafe, schlafe, holder süßer Knabe,……」
 アルベールが歌いだしたそれは、日本でも聞き覚えのある曲だった。”眠れ 眠れ 母の胸に”と語訳されているその曲を、アルベールは母国の言葉で静かに語りかけていた。
「原曲の歌詞、初めて聴いたかも」
「ニホンゴ版と、そんな変わんないよ」
 アルベールはそう自嘲気味に微笑み、「おやすみ」と言いながら令助のほうへと手を伸ばし始めた。
「だ、だから……」
「大丈夫、手は出さないからさ」
 そう伝えながらも、アルベールは令助の髪のほうへと手を伸ばし、柔らかな髪を撫で始めた。
「……しょうがないなぁ」
 きっとこの人に、どんな態度をとってもそつなく躱されてしまうのだろう。令助は半ば諦念の心持ちで、アルベールにされるがままの体勢を取っていた。
 アルベールは、ただ愛おしそうに令助をまっすぐ見つめていた。

◇◇◇

 アルベールがそのまま令助の髪を撫でていると、すうすうと寝息が聞こえてきた。そっと布団を捲ると、令助はすっかり眠っているようだった。
 よかった、とアルベールは安心すると、布団を元に戻して自らも仰向けに身体を預けた。

 ふと、アルベールは自らの左手を見つめた。先ほどまで令助を撫でていた手に、同時に、アルベールはどこか懐かしい思いに駆られていたのだ。
 自分にも眠れない夜があって、不安だった時、そっと隣に居てくれて、同じ手に撫でられていたような感触――
 その感触を思い出したアルベールは、自らの左胸に手を当て、そっと微笑んだ。

「ああ、多分、無駄ではなかったよね、兄さん」

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