市立帝条高校は、高円宮杯優勝を果たした。
グラウンドを駆ける片翼のストライカーはいつしか地球を飲み込み、すべての人々の網膜にその輝くような白さを焼き付けた。一陣の風とともに降臨した一人の少年は、超越する布陣を以てしてグラウンドを席巻し、スパイクで地面を蹴り上げたのだ。
それは、輝きを失った虚構の瞳にそっと翼を授けるように。
それは、理不尽に潰されかけた原石の才覚を磨くように。
それは、享楽のために他者の夢を食いつぶす悪夢を打ち砕くように―――。
誰もがその翼に心酔した。彼こそが未来の希望の光だと、彼は天から舞い降りた使徒だと信じるほどに。そして少年はその期待に応えたかのように、優勝という二文字を掲げ全世界のサッカーファンを沸かせたのである。
そうして世間では”LIGHTWING”天谷吏人の名が轟くこととなった。まるで夢でも見たかのようなあの日の決勝の風景が、今もなお人々の脳裏にこびりついて離れない。
ただし、人々の間で伝聞するのはその”翼”でしかなく、”翼”ではない面々のことに関しては、語られることはない。
人間離れしたスタミナでグラウンドを駆け回る”沈まぬ太陽”や、圧倒的な知略と弛まぬ信頼で総てを束ねる”イヴァン雷帝”など、名だたる才覚に目覚めた彼奴らがその場には居たというのに、その功績や雄姿を称える記事が載ることは終ぞなかった。いつだって世間の人間は、自分たちに都合の良い事実しか知ることはできないのだ。
しかし、そんな世間とは裏腹に客席に座っていた一人の男が、ニヤリと口角を上げる。
輝かしい栄光の影に―――そのとき確かに、何かが動き出していたのだ。
「どうも」
ガラリと扉が開いて一陣の風が吹く。市立帝条高校三年一組の教室に、ジャージを身に纏う緑髪の青年が馴れ馴れしそうに顔を出した。
中世的なポニーテールを靡かせて、黒縁のレンズから覗く瞳がキラリと光る。
生徒でも先生でもない青年の登場に教室は一瞬ざわめくが、隅でたむろしていた三年一組サッカー部の面々は、記憶の底をようやく掘り出して彼の名を答えた。
「ええと、ユーシさん?」
「そ、覚えててくれたんだ」
そう言って青年はニコリと笑った。―――戸畑勇志。ヴェリタスユースの名コーチであり、かつての日の本を掲げ代表として世界を股にかけた選手であり、”LIGHTWING”天谷吏人の恩師でもある。吏人曰くとある事件が起きて界隈に姿を消したはずなのだが、先刻の決勝の場に現れて市立帝条高校―――吏人に檄を飛ばした、帝条優勝の影の立役者でもある。
そんな人物がなんでこの学校に来ているのか。突然の来訪で騒然となるオーディエンスの中、勇志は足音を立てながらサッカー部の人たちへと歩みを進めた。
「吏人は一階の教室ですよ」
教室の中にいる三年サッカー部―――倉橋、月村、森川、そして佐治の四人はそう付け加えた。
なにせ彼の訪問に当てはなく、愛弟子である吏人を探してこの教室に迷い込んだようにしか見えなかったからだ。
しかしそんな四人の態度とは裏腹に、勇志はにこりと表情を緩めた。
「いや、今日は吏人じゃなくて……」
そう言って勇志は四人へと詰め寄りつつ———その一人である佐治に対して言い放った。
「君に用事があるんだ、”イヴァン雷帝”佐治雪哉くん」
「「「ええー!?」」」
呆気に取られる佐治を尻目に、教室に三人の叫び声がこだました。
◇
「いいんすかほんとに」
佐治はメニュー表から顔を上げ困惑した表情を浮かべた。とりあえず話せる場所をと入った近所のファミレスには、制服姿の人々がまばらに座っている。
放課後時折たむろすることもあったこのファミレスだが、知らない大人とサシで座るのは初めてで、佐治は妙に萎縮していた。
「いいよいいよ、なんでも頼んで。あ、一応言っとくけど誘拐とかじゃないからね」
最近厳しいからね、と冗談みたいに勇志はカラリと笑うと、そそくさと佐治に注文を促した。
「あざす」
注文をしてしばらくすると、軽食と飲み物がテーブルへと運ばれた。何でもとは言いつつもやはりガッツリ頼むのは気が引けるようだ。
そんなちょっと緊張してそうな佐治をよそに、勇志はそそくさとパスタに手を付け始めていた。
「最近、どんな調子?」
そう話を切り出されて佐治は再び顔を上げた。そう切り出す勇志の瞳には、何かを期待しているような感情が篭もっている気がした。
「うちが優勝してからっすか。……あーまあ、そんな変わってはいないッスね」
そう言いつつ、佐治は少しだけ残念そうに目を伏せた。
実際そうではある。勿論、優勝した直後は様々なメディアから注目を浴びることとなったのは確かだが、それも一過性のことである。理由はいろいろあるのだが、おそらく一番の立役者でもある天谷吏人がインタビューや取材を総無視したことも関係あるのだろう。勿体ないと佐治は愚痴を零したが、彼はどう見てもそういうタイプじゃないことは見て取れるので何も言えなかった。
そうしているうちに話題はいずれ風化し、今では誰にも声を掛けられることなく佐治含め三年生は普通に部活を引退し、何事もなかったかのように高校生活を送っている状況だ。
「でも心亜が行方をくらましてから、協会もガタガタしてるらしいってのは聞いてて。あんま興味ないッスけど」
佐治はその名前を呼びながら神妙な面持ちで頭を掻いた。―――焛堂シアン。”あの人”と呼ばれ、名前を呼ぶことすら憚られるほどに圧倒的な実力でサッカー界を席巻した悪魔のような男だ。”ああ無常”。哀れな人とも解釈するその通り名のとおり、まるですべてを嘲笑するほどに総てを薙ぎ倒す災害のような存在だった。―――あの時、吏人が覚醒しなければ。の話だが。
あの決勝を経て、それこそジャン=バルジャンのようにすべてを憎む先の中で改心をしたかどうかは、わからない。屈辱の敗北を経ていつしか彼はサッカー界から手を引き、現在は行方不明となっていた。
プロリーグからも引く手あまただった彼の失踪は、当然のようにサッカー界隈を騒がせていた。しかし佐治の所属する市立帝条高校サッカー部の面々には、もう既に関係のない話だった。
「でもそれは別としてこちらの当面の問題はまあ、将来どうすっかって話ですかね」
そう言って佐治は運ばれてきたファンタグレープの氷をストローで啜った。卒業をしてからもサッカーを続けるかどうか。まあやはり、三年になると考えるのはそんなところである。
それまでただのモラトリアムなボール遊びでしかなかった弱小サッカー部だったが、あの決勝を経て良くも悪くも再び見る目が変わってしまった。他の三年の面々はどうするのかは不明だが、おそらく他の皆も同じような悩みを抱えているのだろう。
「ふんふん、まあ今から話すのはそのことなんだけどね」
それを聞いて相槌を打ちながらも、勇志は腕を組んだまま改めて言葉を切り出した。
「卒業後、是非キミをプロチームへと引き入れたい」
「……マジっすか」
佐治は思わず息を呑んだ。ここまでくるとある程度は予測できたことではあるが、いざ本当に言われるとやはり動揺を隠せない。
しかし目の前の勇志の表情を見て、佐治は何かに気が付いたように言葉を返した。
「って、権限あるんスか? たしかプロ辞めたって聞いてますけど」
「それはそうだけど、別に話しておくくらいのコネはあるよ」
佐治の指摘に、勇志はふんすと胸を張って答えた。
(コネ、か……)と佐治は眉を顰めて考え込んでいたが、勇志はここぞとばかりに言葉を重ねた。
「キミのチームを纏める力は素晴らしい。きっとプロリーグでも通じる実力はあると思っているよ」
「……」
その言葉に佐治は黙り込む。かつて天谷吏人と共にグラウンドへ立っていたあの日から、きっと勇志は自分のことを認識していたのだろうと佐治は思う。でなければわざわざこの学校まで出向くなどするはずもないだろう。そして今こうして彼は、改めて自分をスカウトしに来たのだ。
だが、佐治はそれでもなお黙り込んだまま不安そうに頭を掻いた。
「オレ……なんスか? だって他に強ェやつだっていると思いますし……」
「相変わらず自信ないみたいだね。もっと誇ればいいのに」
勇志は佐治のそんな様子を見て、少し呆れたように笑った。やはりそういう部分も察されているのだろうかと思うと、佐治はなんとも言えない気持ちになった。
「ま、まあ……でも……それに……」
佐治は申し訳なさそうに俯いてから、おずおずと言葉を続けた。
「前にも似たようなスカウトを受けて、断ったんス。周り……家族に、あんま迷惑かけたくないスから」
「ふむ、なるほどね」
勇志は大きく頷くと、少しわざとらしく腕を組んで考えた。
「まあ、佐治クンの言うことも一理あるさ。やっぱりこういうのは、ただただ華々しいだけじゃないからね。そうして芽が出ずに親御さんから直々に辞めてくれと言われたら、たとえオレであっても打つ手はないさ」
「まあ……はい」
「……でも」
「……?」
「楽しかったでしょ? あの時」
気がついたように佐治が顔を上げると、ニッコリと口角を上げた勇志の姿があった。
佐治はハッと目を見開いた。―――その言葉で、あの時の光景が蘇ってくるようだった。
自分が愛し、そして愛されていたサッカーという競技をプレイして勝つこと。そんな単純なことを純粋に楽しめたこれまでの日々のことを。何倍も体格差のある奴らとぶつかり、白いボールを追い、肺が潰れそうになるほどに走りきった。そりゃあ大変だったけれども、あの頂上への景色とオーディエンスの嬌声を思えば、不思議と辛さなんて感じはしなかった。
「それは……」
「強豪たちと切磋琢磨できるあの景色を見れるのは、きっと今が最後のチャンスだよ」
勇志はそう言って再び念を押すように佐治の瞳を覗き込んだ。その真剣な表情に、佐治は思わず気圧されそうになる。
「やっぱり、勧誘うまいッスね」
「そう? へへ、照れるなあ」
佐治がそう言うと、勇志は照れたように頭を掻いた。
「でも……一旦は考えさせてください」
そう言って佐治が首を振ると、勇志は改めて言葉を零した。
「……うん、もちろん。大事な決断だからしっかりと考えてきてね。ダメだったらちゃんと諦めるし」
「は、はい……」
「あっ、でも、ひとつだけ言えることがあって」
そう言うと勇志は先ほどとは打って変わって剣呑な目つきになり、真剣な面持ちで口を開いた。
「天谷吏人は―――リーグの舞台で、再び返り咲くよ」
「……まあ、でしょうね」
「まだ、ちゃんとは聞けてはないけどね。あの子もまだまだ高校一年だし、オレの方針としては今はまだ自由にのびのび育っててほしいかな」
そう言って勇志はニヤリと笑うと、手元のアイスコーヒーを飲み干した。そりゃそうだと呆れる佐治をよそに、勇志は遠くを見るように窓の外を見つめた。
「んで、ここからがオレが本当に伝えたい方」
勇志はそう前置きすると、ニヤリと口角を上げて佐治の顔を覗き込んだ。その表情に思わず気圧されたように、佐治は息を飲む。
その反応を楽しむように眺めつつ、勇志はゆっくりと口を開いた。
「これから近い将来、天谷吏人を、支えてやってほしい。あの時の同じように、切磋琢磨して時には対峙する、良きライバルとなってほしいんだ」
「へっ……?」
思わぬ言葉に、佐治は素っ頓狂な声を上げた。
するとその反応を待っていたように、勇志はフンと鼻を鳴らして続けた。
「あの子はいたくキミを気に入ってるみたいだ。あまり口には出さないけどね」
「オレが……?」
発された言葉がどうにも理解できず、佐治は頭を傾げた。―――あの、吏人が? どうしてオレのことを?
そんなに大層な好意を受けた覚えもそんな素振りも確認していない佐治は、わけもわからず思わず訊き返した。
「……それってどういう」
「ああ、やっぱり伝えてないか」
勇志はそう言うと、困ったように笑った。まるできかん坊の子どもを見るような目でどこか遠くを見ている。
おそらく、吏人のことを思い出しているのだろう。窓の外を眺めながら勇志はぽつりぽつりと話し始めた。
「あの子は実力も伸びしろも申し分ない。それになによりサッカーを愛している。……だけど」
そう言って勇志は言葉を区切ると、静かに振り向いて佐治の瞳を覗き込んだ。
「”それしか見えてない”から、強大な力が立ちふさがったときに、脆くなる」
その言葉と同時に、あの時の光景がリフレインする。
不器用ながらもサッカーの全てを愛し、愛されてきた少年が翅をもがれる様を。
圧倒的な実力のもとに呑まれそうになったその瞳を。才覚を。
佐治や他のチームメイトは、間近で見てきたからこそ彼の強さの裏に垣間見える弱さは、痛いほどわかっていたのだ。
「ああ、まあ……」
「だからあの子が壊れないように支えがほしいと思ったんだ」
あっけらかんとそう言い放つ勇志に、佐治は呆れたように眉を顰めた。
「支えって……」
「それに、オレは目ざといからね。一目みただけでわかったよ」
佐治の困惑をよそに、勇志は得意げに笑ってみせた。その笑みにはなんだか圧倒的な自信と信頼が感じられる。まるで瞳の中を見透かされているような感覚。一体彼の目には何が見えているのだろうか。佐治は思わずゾクリと背筋が凍るような心地がした。
でもどちらかというと、自分ではなく吏人のことを考えているような気がする。佐治はそんな勇志の態度に、思わず首を傾げた。
「……?」
よくわからないまま訝しげに勇志を見つめていると、静かに口が開かれた。
「……将来の幅を狭めるようなプレッシャーをかけて悪かったね。だけど一応、オレもずっと心配しているんだ。人助けだと思って、考えてみてよ」
そう言うと勇志は「そろそろ行こっか」と伝票を手に立ち上がり、席を後にした。
席に残された佐治はその言葉を反芻しながら、ただ茫然とする他なかった。
「面倒くせえ……」
なんとか絞り出した言葉も、誰の耳にも届くことなく喧騒の中に消えていった。
◇
次の日。
『またその気になったらメールしてよ。オレはいつでも待ってるからさ』
先日そう言って手渡されたメールアドレスを手に、佐治は教室で一人ため息をついた。
一体全体、自分と吏人の間に何を見てそう判断したのかはわからない。まるで夢でも見ていたかのような感情とともに、佐治はただぼんやりとそのアドレスを眺めていた。
勿論吏人と”特別に”仲が良いわけでもない。部活の時だって合宿の時だって、突っかかるようなことはあっても常に一緒にいるわけではない。サッカーの相性がいいだけだ。
だがしかし、あのときの勇志の自信に満ちた言葉と表情を思い出すたびに、なんだか胸の奥に妙な違和感が生まれていた。―――いくら考えても、答えは見えないのだけれども。
「よー佐治」
突然、自分の名前が呼ばれて佐治は顔を上げた。目線の先にはクラスメイトの倉橋が立っていた。
「おう」
「昨日すごかったな! てかあれ、スカウトだろ? いいなぁ」
そう言って倉橋は、羨望の眼差しを佐治に向けた。まあ、あんな登場のされ方をしたら流石に察されているみたいだ。
「へへっ、まぁな」
「いいなぁ、オレたちもはやくスカウト受けてえー」
気をよくして佐治が鼻を擦ると、倉橋はそうぼやきながら自分の席に戻っていった。
そうだ。兎にも角にも、プロスカウトを受けたことは間違いない。どちらへ進むかは自分次第だが、またもう一度サッカーが出来る可能性があるということに心躍っていないわけではない。
それでも佐治の脳裏には、昨日見たあの瞳の色が焼き付いて離れなかった。かつての弟子であるのならはその弱さは知っているし、それを心配する気持ちもわからなくはない。でも、それは自分には関係ないはずだ。だから傍にいてほしいなんてちゃんちゃらお門違いだし、きっと吏人は吏人で自分で何とかする実力はあると思っている。
だからきっと、吏人自身になにか別の感情があるのだろうか。彼の中でどんな風に自分が映っているのかはわからないが、佐治は何故かそんな思いに駆られていた。
その時教室の外で、盛大に階段を駆け上がる音が聞こえた。普段なら気にも留めないが、昨日の話が本当なら、”アイツが”教室へとやってくるかもしれない。佐治はそんな妙な予感を感じていた。
そうしているうちに教室の扉が開かれ、赤銅色の髪の少年が飛び込んできた。
「……佐治さん」
予想通り、高円宮杯優勝のエースであり現サッカー部主将””LIGHTWING”天谷吏人がそこに立っていた。
息を切らし、肩で呼吸をしている―――普段は生意気なまでに飄々としているので、ここまで動揺している姿は久しぶりだ。
「来たか、吏人」
佐治がそう呼びかけると、吏人は間髪入れずに佐治の元へと駆け寄った。
「ユーシ来てたなら言ってくださいよ」
「ええっ? おお」
そう文句を言い始める吏人に、佐治は思わず戸惑いを隠せず目を丸くした。かつての師からの勧誘とはいえ、主将に報告する義理はない。
「でもわざわざお前に報告するほどじゃ」
佐治がそう言いかけたところで、吏人はその言葉を遮るようにずいと佐治に近寄った。どこか焦っているようなその様子から、おそらくただ事ではないことが伺える。
壁ドンならぬ机ドンのような形にされ、立ち上がることもままならないまま吏人に詰められて佐治は思わず息をのむ。
吏人はそんな佐治の様子も意に介さず、そのまま佐治の顔を覗き込んだ。その深緑の瞳の奥にはどこか不安の色が滲んでいる。
「佐治さん、どこまで訊きましたか」
吏人はぽつりとそう呟いた。
いつも飄々とした様子からは想像もできない、どこか縋るような声だ。佐治は思わず目をぱちくりさせながらも、そんな勢いに気圧されないように目を細めて続けた。
「ここじゃなんだ。ちょっと付き合えよ」
そう言いながら吏人を突き放すと、屋上のある天井を指差した。
◇
場所を屋上へと変更して、二人はフェンス越しに校庭を眺めていた。屋上は普段解放されていないので、この空間には二人しかいない。
佐治はフェンスにもたれながら、隣の吏人に先日のスカウトの件をかいつまんで話していた。それを聞いた吏人は半分驚きのような、半分安堵したかのような表情を浮かべていたのだが、佐治にはその理由は知る由もなかった。
「……なるほど」
概ね聞き終わった吏人が、そっと頷く。
「ということなんだが、お前の見解はどうよ」
そうやって佐治が問いかけると、吏人は少し考え込んで話しだした。
「超過保護。そして無責任」
「だろ!?」
「ユーシはああいうところがあるんです」
そう返すと吏人はため息をつき、どこか遠い目で空を見上げた。
「オレもいつまでも子どもじゃないのに……」
呆れたように呟く吏人の表情はどこか物憂げで、佐治はなんとなくその横顔から目が離せなくなった。今までそんな面はこちらに見せてきたことがなかったので、少し意外だったのかもしれない。
「……てか、お前はどうしたいんだ」
沈黙に耐えきれなくなった佐治がそう問いかけると、吏人はビクリと肩を震わせた。
「……何がですか」
「オレに……傍に居てほしいとか」
佐治はぽつりと―――吏人に一番聞きたかったことを問いかけた。吏人の中で、自分がどんな風に映っているのか。そして自分はどうなのか。それを知りたかった。
その問いに対して吏人は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの調子に戻って「……それは、佐治さんが決めてください」と静かに言い放った。
佐治はその様子に少しだけ残念な気持ちになりながらも、安堵のため息をついた。
まあ、そりゃそうかと思う。ああはいいつつも結局自分自身の問題だ。吏人がこの先どうなろうと、自分にとっては本来は知ったこっちゃない。それは吏人にとっても同じことで、互いが互いのために大事な選択を取るなんて、もし当事者だったら責任感で押しつぶされてしまいそうだ。
でも、だけれども。本来はそうあるべきだし、自分で決めろと言い放った吏人の横顔が―――どこか寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
(だったら……そんな顔してんじゃねェよ)
飄々とした吏人の表情が、今はただの一人の子どものように見える。
「ま、大体話したから帰るぜ」
「……はい」
そう言うと佐治は吏人に背を向けて歩き出した。吏人はそれを追いかけるでもなく、静かにその場に突っ立っていただけだった。
つくづく、不器用なやつだなとは思う。このときに一言でも「行かないで」と殊勝な言葉さえ言ってくれれば、一緒に居てほしい願望を叶えることを少しでも考えてやったというのに。それなのに親しい第三者には、一緒に居てほしいと宣っている。―――今でさえ、妙に突き放しているくせして、行ってほしくないかのような表情を浮かべている。
そんな煮えきらない吏人の態度になんだか妙にムカついて、佐治は一瞬だけ振り向いて答えた。
「……一言だけだ。まだ進路指導までには時間がある」
その言葉に、吏人の目が見開いた。何かを期待しているような、でも半分諦めているような目の色に、翼のような光が灯る。
「だからもし一緒に居たかったら、早くてめェの口から言えるようになれ。このタコ!」
「!!」
佐治がそう声を張り上げると、吏人は一瞬驚いたように目を見開いた。
「そんだけだ」
そう言うと、佐治は今度こそ屋上を後にした。バタンと扉が閉まると、取り残された屋上に一陣の風が吹いたような気がした。
誰もいなくなった屋上で、吏人はかつて佐治のいた方向を見つめて瞼を閉じた。
脳裏に聞こえてくるのは、かつての師のユーシの言葉だ。
『センターフォワードの子、随分と気に入ってるみたいだね』
「……」
彼との再会の途中、突然そんなことを言われて吏人は一瞬言葉に詰まる。
「佐治さんのことッスか。なんでそれを?」
不思議そうにそう尋ねると、ユーシはフッと笑って吏人の顔を覗き込んだ。
『見ればわかるよ』
そう言ってカラリと笑いながらも、ユーシはあの全てを見透かしたような目つきで吏人の顔を見つめた。
『卒業したあとも、一緒にいてそうな顔をしてるぞ』
「何なんだよ……」
吏人は不意に、胸の奥がズキンと痛む感触を覚えた。
———その感情の正体が何なのかは、きっと彼一人しか知らない。
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