モンキー・D・ガープ。階級は中将。かつての海軍の窮地を救った、生ける伝説。
これがぼく、コビーの知っている中将の全てだ。その他に知っていることといえば、実力で言えば海軍大将にも引けを取らないが何故か昇級を拒んでいること、その実力に反して悪魔の実の能力を有していないということ、そして……かつてのぼくの命を助けてくれた〝麦わら〟モンキー・D・ルフィの祖父だということだ。
W7の波止場でルフィさんと対峙し、そのことが判明したときは本当に驚愕した。驚愕したと同時に、またとない運命のめぐり合わせに心が打ち震えたのを覚えている。
今のぼくはガープ中将の弟子として、ヘルメッポさんと一緒に鍛錬を受けている。その昔、要人をみすみす逃がすという海軍として良くない行為をし、危うくそのまま海へと打ち捨てられるかもしれないところに颯爽と現れ―――半ば拾われるような形で本部へと連れて行かれた。そこからはあれよという間に、ぼくは曹長、ヘルメッポさんは軍曹という階級へとたどり着いたのだった。
もちろん、楽な道ではなかった。ガープ中将の元で訓練を行うということは、それすなわち孫である〝あの〟ルフィさんの祖父と鍛錬を行うことでもあったからだ。当然、ゴムのような力はないはずなのに、それに値するほどに中将の実力は相当なものだった。
中将の鍛錬はとても厳しく、何度も死を覚悟した。だけれども、それがいわゆる〝本部〟を生き抜くための彼なりの道標だったのだ。と気がつくには相当な時間が必要だったのだ。
今でこそそれなりの地位についているぼくだけど、それに値する実力を持ち合わせているとは今でも思っていない。むしろ戦闘の才なんかはからきしで、どうしても他の人たちのように立ち振る舞うことができない。そのくせドジばかりして、生傷ばかり作って帰ってきてしまう。傷はなんとかの勲章だとも言うけども、ぼくにはそう思うことが出来なかった。
だのに、中将は決してぼくのことを見捨てたりしなかった。情けないと言われることはしょっちゅうだったけど、それによって師弟関係が揺らぐということは一切無かった。
ありがたいことなんだろうけども、その事実がぼくにとってはかえって苦しかった。当然恩義を感じていないわけじゃない。だけども、それに対して自分は何も返せていないような気がしてならないのだ。
前向きになりたくて前髪を上げたけど、未だ弱気で弱虫な自分が顔を出す。
階級に見合わないだと、陰口も言われたこともある。でもそれは何より自分が一番わかっていたことで。そうしていると、まるで真綿で締めあげられているようにじわじわと苦しくなって、自分の力や、今の立ち位置にめっきり自信がなくなっていった。
一体どうして、中将はぼくを拾ってくれたのだろうか。どうしてぼくを弟子にしてくれたんだろうか。
ぼくの背中に、なにを見ていたんだろうか。
それがずっと、頭の中にこびりついて離れなかった。
「そりゃお前、直接聞いてきたらいいじゃねェか」
ある日のお昼時にヘルメッポさんに尋ねてみたら、ぶっきらぼうな口調でそう返ってきた。
ぼくは眉を顰めたまま、言葉を返す。
「……絶対ふざけて言ってるでしょ、それ」
「いやいや、おれは本気だぞ」
ヘルメッポさんはそう言いながら手元のパンを頬張った。確かに、それが一番確実だってわかってるけど。ぼくはため息をはあ、と一つついて答える。
「そんなん訊ねたら、いつものように笑い飛ばされて特訓増やされるのがオチだよ」
「いいじゃねェか。トレーニング好きなんだろ?」
「そういう問題じゃないよ」
ぼくがそう言うと、ヘルメッポさんは少しだけ納得いかないような表情を浮かべた。
「だいたいよォ、おめェさんおれさまより階級上じゃねェか。なーにを贅沢なこと言ってやがる」
そう言って口をとがらせるヘルメッポさんに、静かに言い返す。
「だからそれに見合わないって話をしているんですよ。……ほんとはヘルメッポさんと逆だろうなって、思ってるし」
ぽつりと呟いたぼくの言葉に、ヘルメッポさんは眉根を寄せた。
「はぁ!? なーんか今のはちょっと聞き捨てならんな。その階級はおれさまが歯食いしばっても欲しいものなのに。そんなちんたらしてっとおれが勝手に奪っちまうぞ」
「うん……」
「……張り合ってくれねェと締まんねェよ」
ヘルメッポさんはそう言って、大げさなほどにがっくりとうなだれた。
ぼくはそんなヘルメッポさんを見ながら、黙って目の前のパンを咀嚼することしか出来なかった。
自分でも、まるで覇気がないなぁと思う。ヘルメッポさんが煮えきらない僕の態度に怒るのもわかる気がした。だけども、自分の心の中に渦巻く感情は、取れることはなかった。
あくる日、ぼくはヘルメッポさんと対峙していた。ぼくは拳を構え、ヘルメッポさんも同じように構える。両手に武器はない。なぜならこれは武器を奪われた時のための素手訓練だからだ。
互いに間合いを測りあい、じりじりとにじり寄る。あと数歩で互いの拳が届くというところまで来ると、ぼくは腰を低く落とし、そのままヘルメッポさんに突っ込んでいった。
得意な戦法だ。前からぶつかって、相手の隙を狙う。武器がない分、あまり難しいことを考えなくて済むから楽だ。だがヘルメッポさんはサッと横に避けると、ぼくの後ろに回りこみ蹴りを放った。でもそう来るとは思っていたからその隙をついて避けながら距離を取る。仕切り直して、ヘルメッポさんの片足が地面に降り立つ前に、軸足部分を蹴り上げる。
少しバランスを崩すヘルメッポさんに対して、拳を打ち込む―――ハズだった。
予想より立ち直るのが早いヘルメッポさんの手がぼくの腕を掴もうとする。ぼくは慌てて体をひねってそれを避けようとしたけれども、ワンテンポ遅れてそれは叶わなかった。
「らあっ!!」
腕を取られ、そのまま一本背負いのように地面にたたきつけられてしまった。
息が出来なくなるほどの衝撃に思わず咳き込む。視界いっぱいに広がる天井を、思わず仰ぎ見た。
「かっ……勝っ……た」
ヘルメッポさんはそう呟くと、ぼすんとその場に座り込んだ。そうしてしばらくして、嬉しそうに声を上げた。
「や、やった……お前と会ってから初めて……ついにお前にステゴロで勝ったぞォォォ!!」
ヘルメッポさんはそう言ってとてもはしゃいだ様子で、ぼくのもとへ駆け出してきた。その一方で、ぼくは仰向けになったまま、ぼんやりとした顔を浮かべた。
「……」
言葉が出ない。ヘルメッポさんには一度も負けたことが無かったのに、いまのぼくにはなぜか悔しさも何もなかった。
身体を起こそうとしても、手足に力が入らない。まるで鉛が入っているかのように体が重く、そのまま、ただ茫然と目の前の光景を見つめることしか出来なかった。
「コビー?」
心配そうなヘルメッポさんの声が脳内に響く。
その時―――ぼくの目の前が、視界が、真っ黒になってしまったのだ。
◇
唯一、自信があったこの拳ですら打ち砕かれたその瞬間、己の体がぐちゃぐちゃになったような錯覚さえ感じた。身体は至って健常なはずなのに、何か大切なものを壊されてしまったような―――しがみ付いていた最後の欠片が、音を立てて崩れ落ちたような、気がした。
目が覚めると医務室のベッドの上だった。戦意喪失した自分をヘルメッポさんが運んでくれていたのだろう。だが今は彼の姿はなく、この部屋には自分ただ一人だった。
ぼくはベッドから飛び上がり、医務室を抜け出した。
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