【サンプル】この世界の何処かで

 

 幼いころから、兄弟が欲しいと思っていた。
 母親は物心ついた時からおらず一人っ子だったから、幼心ながらそれはきっと叶わないことなんだろうと諦めていた。だけれども、シェルズタウンの広場で遊んでいる奴らを窓から眺めるたびに、心の底では密かに兄か弟と一緒に遊ぶことをどこかで願っていた。
 今思えばペットを飼い始めたのも、そんな気持ちを紛らわせるためだったのかもしれない。……もっとも、こまめな世話なんておれの性に合わねェから、すぐ飽きては手放してを繰り返していたんだが。
 父親は海軍大佐で金だけは沢山あったけども、金では買えないその願いだけは終ぞ叶うことは無かった。今にしてみりゃガキみてェな望みだなって思うし、クソ親父が失脚した瞬間にそんなこと考えるような状況じゃなくなってそんな望みすらいつの間にか頭の隅へと追いやってしまっていた。
 家族どころか天涯孤独に身を没し、地位も名誉も全てが遠い存在となった。ゴムみてーな肉と石みてーな硬いパンを口にして、通りかかる海兵たちは揃いもそろって「殺されないだけマシだと思え」と軽蔑の目でおれを見下ろしながら言い捨てて去って行った。幾分前まではヘコヘコと頭を垂れてきたくせに、どいつもこいつもクソッタレだと憤りを嚙み殺した。
 いっそ、親父とおんなじように投獄されていたほうがマシだったとすら思う。
 少し目を瞑るだけでもおれに石を投げてきた奴らが脳裏に浮かぶ。”わたしは暴虐な振る舞いをしました”と首から看板を下げられ、見せしめのように街中を歩かされた。
 街の皆さんに見える形で禊をしておかないと納得してもらえないからな、なんてあいつらは宣っていたが、こんなもんどう考えても体の良い憂さ晴らしだ。以前の振る舞いが多数の人間から反感を買っていたことは確かに認めるが、ただそれ以上に、何でおれだけがこんな目に、と思わずにはいられなかった。
 だけど、アイツだけは、コビーだけは違っていた。
 麦わらのヤローとクソ剣士の後ろに金魚のフンみたいに付いていながら―――てっきり海賊の子分かなんかだと思っていたら、気が付いたら海軍に入隊をかましていたクソふざけたヤローだ。雑用宿舎にブチ込まれたときに、目の前にソイツが居たのには大層驚いた。
 コビーのヤローも初めはおれの存在に面食らっていたようだが、それは最初のときだけで。コビーは他の奴らと違って過剰なまでの恨みの感情は向けてこなかった。
 小言はうぜーし、うるせェけど、その言葉に執拗な悪意を感じることは無かったんだ。
 なんだコイツ、と思うと同時に、気の滅入るような毎日の中でコイツの妙にこざっぱりとした態度や姿勢にほんの少しだけ安心感を覚えたのは確かだった。絶対に認めたくはねェし死んでもコイツには言わねーけど。
 しかしまあ、そんな態度を取ってくるやつなんて、素晴らしく能天気かとんだ脳内お花畑お人好しヤローの二択かと思い込んでいたのだが―――コイツもコイツで、なかなかの事情を抱えていたらしいと発覚するのはしばらく経ってからだった。

 それは何気ない、ふとした言葉から始まった。
「そういえばお前、どこの出身なんだ? ここいらとかじゃ見かけねー顔だったが」
 雑用業務にも慣れてきた頃、おれはコビーに向かって尋ねてみた。
 本来だったら互いの事情なんて触れるべきではないのだろうが、こんときのおれは鳴り物入りで海軍に入ってきたコビーに対して、ほんの少しだけ興味があったのだ。
 正義の名を冠しているといえど、この大海賊時代における海軍の業務は過酷を極めており、それは比較的平和な海と噂される東の海でも例外ではない。周りにいる海兵たちも、家族を養うためだの己の食い扶持がないから仕方なくだのといった詮無き理由に塗れていた。まあ簡単に言えば”正義”の一言だけでは片付かない理由があるのだ。
 それを”己の正義を貫く”ただそれだけの理由で身一つで志望する無鉄砲なヤツがいるのだ。一体どんな故郷の下―――どんな家族を見て育ったのかは幾分か知りたかったというわけだ。
 それを聞いたコビーはいつものようにニヘラ顔を浮かべながら答えるだろうなと思い込んでいたのだが、作業をする手を一瞬だけ止め、少し気まずそうにこちらを振り向いた。
「あ、ええと、実は……」
 その次に出た言葉に、おれは思わず目を丸くした。
―――海賊に誘拐され、奴隷のように従事させられていたらしい。それも二年間も。
「それって、アイツか? あの麦わらの……」
「あっそっちじゃ、そっちじゃないんです! そちらはどっちかというと命の恩じ……あっ、いや違くて!」
 コビーが己の発言を慌てて訂正し直したので、さらにワケがわからなくなった。いや、どの海賊にだとかはどうでもいいんだが。
 因みにだが、孤児が海軍へとブチ込まれるのは往々にしてあるらしい。先ほどの食い扶持であったりとか理由は様々で、最悪身一つでどうにかなるからだ。……といってもシェルズタウンでは実例はなかったから噂半分といったところだが。
 だが、コビーはそれ以上に過酷な運命を辿ってここにたどり着いていたのだ。確かに、それならば個人的な恨みを持ってここへ入ってきてもおかしくはない。
「ふーん、なんか大変なんだな」
 おれが相槌を打つと、コビーは物悲しそうに顔を伏せはじめた。
「……だから、故郷については、わからないんです。帰ろうにも帰れなくて……」
 そういってコビーはその故郷の名を口にした。全く身に覚えのない名前だ。だけども、その日の夜に抜け出して船一つ乗り継いでたどり着けるようなモノではないことは、それまでの口ぶりからはなんとなく理解していた。
「……って、なんか湿っぽい話になっちゃいましたね。すみません」
 コビーはそう言って愛想笑いを浮かべる。そうして「忘れてください」と付け足しながら雑用任務に戻ろうとそそくさと踵を返そうとした。
―――この時。なんでかはよくわからないが、おれはコビーの背中に向かって思わず声を投げかけていた。
「早いんじゃねェの? 諦めるの」
「え?」
 声に気付いたコビーが足を止めて振り返る。
 不意に出た声に自分でも驚くが、おれはそのまま言葉を続けた。
「それこそ昇進して、遠征とか行けるようになったら近くを通るかもしれねェし……今は無理でも、いつでも行けるように探しといて損はねェんじゃねえのか」
 そう言うと、コビーはきょとんとした、呆気にとられたような顔をした。まるでおれがそんなことを言うはずがないといった、予想外のような反応だ。
 その黒い瞳に押されて、おれは少ししどろもどろになって言い訳をした。
「あ、いや、その……なんだ。別にお前のことなんて別に知ったこっちゃねェけどさ、手伝うつもりも別に―――」
「一緒に探してくれるってことですか!!」
 手伝うつもりも無い。と言いかけたのだが、目を輝かせて食い気味に言葉を被せてきたコビーに気圧されて、おれは思わず「あ……ああ」と頷いてしまった。
「ありがとうございます! じゃあ今度、約束ですよ!」
 そう言うとコビーは駆け足でその場を立ち去っていった。

 今思えば、こんときのおれは少しどうかしていたと思う。雑用だけでもクソ面倒なのに、成り行きとはいえこんなことを引き受けるなんて。
 その真意は別に親切心からでも、同情したわけでもない。―――だけど。
 故郷を語るコビーの小さな背中が少し、寂しそうに見えただけだ。

【続きは書籍で】

おれとお前の航路にまつわるエトセトラ
ヘルメッポ一人称で綴る短編集です。カプ要素薄めですがコビヘル展開あり。【一つ目】モーガン失脚直後のシェルズタウンでの一幕【二つ目】好きだと自覚できない話【三つ目】95~107巻の二人がすれ違う話

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