酩酊

 

 陽気な声が響く酒場で喧騒に揉まれ、見渡せば一人客は自分ひとりだけであった。
 とりあえずと近くの酒場へと入ったヘルメッポは少しバツが悪そうに店内を眺めた。彼の隣に相棒の姿はない。
『この島はちと治安が悪くてな。コビー! 今日はお前警備あたれ』
『えー!?』
 この遠征任務中に先ほど受けた言葉と、コビーの驚いた顔が脳裏をよぎる。今頃コビーは少しむくれながらも警備にあたってるんだろうな、と思うと笑えてくるが、明日には自分が警備にあたらなくてはいけないと思うと少し憂鬱になった。
「しかしまあ……一気に暇になっちまったな。ったく……」
 ヘルメッポはカウンター席に座り、飲み物を注文した。待っている間は手持ち無沙汰なので、周囲の会話を聞いたりしながらも手前の壁に掛けられた紙を見つめていた。この土地にも海賊の息はかかっており、掛けられた紙の内容は概ね手配書だったり近海の海賊たちの情報だったりと海賊に関係したものばかりだった。
 しかし、それは殆どグチャグチャだったり一部破かれていたりして読めたものではない。酒を掛けられたのかシワシワになった手配書を一枚チラリとめくると、言うのも憚られるほどの下品な言葉の落書きが大量に書かれていた。
「……確かに、輩は多そうな島だな」
 手配書をもとに戻しながら、ヘルメッポは呟いた。
 本当はこんな島さっさと任務を終わらせて本部へと戻りたいが、そういうわけにはいかない。少なくとも一週間はかかる長期任務だ。情報収集も兼ねて暫くはこの喧騒にも慣れていかねばならない。
 程なくして注文した飲み物がテーブルに置かれた。それを飲みつつ再び店内を見渡すと、ふとカウンターの端で何かが気になった。

 そっと盗み見をすると、誰かがカクテルの中になにか白いカプセルを入れている様子が見えた。そのカプセルが溶けて中のモノが混ざると、グラスの中は鮮やかな青色へと変貌した。
 何だ? 何か細工をしてやがる。
 その中のカプセルに見覚えがあった。ヘルメッポがそのカクテルを持つ手の先を追うと、この酒場の印象にぴったりのいかにもな格好をした男がニヤニヤしながら、周りの取り巻きとともにカウンターにいる女を品定めするように指差していた。
―――これは、長くなりそうだな。
 ヘルメッポは思わずその集団にさり気なく近づき、動向を見守った。

「お嬢さん、一人?」
 カクテルを持った男が取り巻きから外れ、カウンターの女に話しかける。
 振り向いた女はブロンドの髪を靡かせながら、つまらなさそうに答えた。
「連れがいたけど、帰っちゃった」
「じゃあおれと遊ばない? 奢るからさ。新たな出会いに乾杯! っつてね」
 そうして男はカクテルを置き、バーテンダーに目配せをした。おそらくバーテンダーもグルなのだろう、彼も制止することなくそのまま女の前にカクテルを運び、どうぞと勧めるように手を差し出した。
 透き通るような青いカクテルは、物言わず沸々と泡を吹き出すだけだ。
 女は初めは怪訝そうに男を見つめていたが、バーテンダーにその酒を勧められると、安心したようにそのグラスへと手をかけた。
「そこまでだ」
 その時、一連のやり取りを見ていたヘルメッポが静止させるように二人の間に割って入った。
「んだよ、誰だお前」
 少し悔しそうに男はヘルメッポを見上げる。
「悪いな、これおれのツレなんだ」
「はぁ!? 帰ったんじゃなかったのかよ」
 男が動揺したように立ち上がった。
「ええ……? いったい何なの? もう……」
 女はわけもわからず呟き、興を削がれたと言わんばかりに目の前のグラスに手を伸ばした―――。
「待って!」
 焦ったヘルメッポは思わずそのカクテルを奪い、一気に飲み干した。
「!?」
 女は驚いてヘルメッポを見上げる。
「ぐっ……」
 一気に飲み干した衝撃で少し視界がふらつくが、なんとか耐えながらもヘルメッポは女を庇うように立ち、男に向かって言葉を放った。
「……こんな小手先の安っすい薬で女お持ち帰りなんて、虚しくねーか?」
「薬……!?」
 その言葉に女は驚愕し、思わず口に手を当てた。
「未遂だから今帰ったら見逃してやる。本当はバーテンダーごと海軍本部に報告もんだがな」
 そう言いながらヘルメッポは己の刀をキラリと光らせる。
「か、海軍か、お前……っ」
 男はそれを見ると明らかに動揺した様子で、ヘルメッポを睨みながら後ずさった。
 ヘルメッポがチラリとバーテンダーのほうを見ると、こちらは我関せずか恐縮そうに身を縮めていた。
「(こっちは無視か……)」
「チィッ、覚えてろよ!」
 捨て台詞を吐き、男と取り巻きたちは酒場をあとにした。
 あとにはヘルメッポと、ポカンと口を開け呆気にとられている女だけが残された。
「か、海兵さん、ありがとうございます……!」
 ハッと気がついた女が頭を下げた。
「あーあーそういうのいいから。もう今日は帰ったほうがいいぞ」
「で、でも御礼とか、それに大丈夫ですか……?」
「知ってるやつだから大丈夫、死ぬ薬じゃないさ。……心配だし、誰か呼んで家まで送らせるけど」
「あ、大丈夫です。近いんで」
「……そっか、じゃあくれぐれも気をつけて帰れよ」
 ピシャリと断られてヘルメッポは若干へこんだが、女がぺこりと頭を下げて出ていった様子を見て、安心したようにため息をついた。
 
「助かりました通りすがりの海兵さん。わたしもあの男の蛮行にはほとほと困ってましてね」
 先程から身を縮めていたバーテンダーが、ぬるりと顔を出してヘルメッポへと話しかけた。
「へっ、どうだか。今となっちゃあアンタの言うことも信用できないね」
 憮然とした態度でヘルメッポは「興ざめした。飲み直すわ」とお勘定の札をカウンターへと放り投げた。
「嫌われたもんですなあ。では、お詫び代わりの忠告を一つ」
 お釣りの銅貨を手渡しながら、バーテンダーが続けた。
「―――夜道には、ご用心を」

 どくん、と心臓が跳ねる音がする。
 酒場を出るまではその違和感に堪えていたのだが、外へと出た途端辛抱たまらなくなってヘルメッポは人気のない路地裏へと駆け込んだ。
「はあっ……! はあ……っ」
 壁に手をつきながら必死に息を整える。ドクドクと脈打つ感覚はやがて熱に変わり、身体の芯に火がついたようにカッと熱くなっていった。煮えたぎるような温度に夜風が吹き付けるが、それでも収まることはなく熱は増すばかりである。
 衣服越しに擦れる肌が、不快とも快感ともいえない生ぬるい感触に侵される。
「っくそ……!」
 肩で息をしながらギリ、と悔しさに奥歯を噛み締める。
 ヘルメッポは、先ほど飲んだモノ―――以前本部で見た”青いカクテル”もとい、カクテルに溶かされた”白い薬”のことを思い出していた。

 海軍本部の片隅には、検査室も兼ねた資料室がある。海兵の中には戦うだけではなく、未研究の物質等の解析や研究で一日を過ごす者たちも存在する。
 資料室の中でヘルメッポは堅い表情で資料を手にし、目の前の人間に向かって話した。
「この資料、欲しかったんだろ? ついでだから持ってきたぞ」
 部下である海兵がそれに気が付き、一瞬目を細めてから頷いた。
「ああ、すみません少佐、ありがとうございます」
「確認だけよろしくな」
 手渡した資料に目を通し始める部下を横目に、ヘルメッポは隣の机に何か白い粉が置かれていることに気がついた。
「これ、何だ?」
 部下は振り向き、深いため息をつきながら説明を始めた。
「直近で押収した海賊のブツです……最近こちらをシノギにしているらしく」
 その部下の言葉を聞いて、ヘルメッポは「そうか」と相槌を打ちながらその粉に手を伸ばす。
「あ、触らないほうがいいですよ」
 それを聞いてヘルメッポは手を引っ込め、気がついたように言葉をこぼす。
「へぇ……薬か?」
「まぁそんなところです。こちらはケシ科のモノのように強い依存性があるとかではないですが、突発的な催淫作用があるようです。固めてカプセル状になったものが最近出回っているみたいで……まぁ船上とあらば大方使い所はわかるでしょうが」
「捕虜か娼婦か……想像したくねぇな」
 ヘルメッポは顔をしかめ、警戒心を露わに呟いた。
「なので青い飲み物には注意してください。こちらはアルコールに溶かすと青色に変化し、催淫の効果が発動するようです」
「わかった」
「はい、しかし……まだ検査段階なので色々と定かではないですが、出回っているものは概ね粗悪品だという噂です。まぁそもそもこういう類のものは眉唾ものだったりしますから」
 部下は淡々と資料を整理しながら、そう続けた。
「そう願いたいものだな」

「あの野郎……出回ってるのは大抵偽物だとか言ってたくせに……!」
 ヘルメッポは胸を抑えながら、行き場のない拳を掲げた。
 煮えたぎるような熱さと疼きが一気に身体の中を支配し、思うように動かない。―――これが偽物だなんてとんでもない。ヘルメッポはそう直感した。
 それはそれとして早く支部基地へと戻らないと、良くてスリか、最悪の場合何かしらの事件に巻き込まれるかもしれない―――そう思ったヘルメッポは、ふらつく足を必死で支えながら壁伝いに大通りへと出た。
 その時だった。
「……どうしたんですか!?」
 コビーが、驚いた顔でこちらを覗き込んでいた。

 お前は警備に居たはずだが。とヘルメッポは内心思っていたのだが、まだ隊服のままなところを見るとたまたまこちらを通りかかっていたのだろう。
 支部へ戻りたいという意味ではタイミングがいいが、コビーに弱りかけた姿なのを見られたくなくて、思わず顔を逸らす。
「あ、いや。コビー、何でもない」
「……顔真っ赤じゃないですか!?」
 コビーは驚いたようにそう叫んだ。
「かもなー、飲み、すぎた……かもな……」
「いやどう見てもそういう症状じゃないですよ!! 医務室行きますよ!!」
 言い訳じみたヘルメッポの発言を遮るように、コビーが急かすように腕を引っ張ってきた。
「いやっ、待てコビーちょっ……うわっ!!」
 抵抗もできないままに腕をひかれると、ヘルメッポはそのまま俵担ぎのようにひょいと担ぎ込まれる。
 覇気の力もあるんだろうが、相変わらず凄い馬鹿力だ。
「大の大人が恥ずかしい……」
「そんなこと言ってられないじゃないですか! 行きますよ!「剃」!!」
「酔うからもっとやめろォ!!」
 恥ずかしさに顔を覆うヘルメッポをよそに、コビーはそのまま通行人に気づかれないほどのスピードで大通りを駆けていった。

「出払ってるのか誰もいないみたいですね」
 支部の医務室は簡素な作りであったが、清潔さは最低限保証できそうなベッドが二つ鎮座してあった。今はドクターも出払っているのか、静かである。
 コビーは抱えていたヘルメッポを片方のベッドに寝かせた。ヘルメッポは未だ体の熱が冷めずに苦しそうに身体を捩っている。さっぱり原因がわからないコビーは、その様子を見て困惑したように頭を掻いた。
「困ったな……水飲ませて熱冷ますことくらいしか思いつかない……ヘルメッポさん、心当たりは? なんか変なもんでも食べた?」
「おれは野良犬かよ……ま、概ね間違っちゃいねーがな」
 ヘルメッポはベッドに横たわったまま、苦笑いで返した。

「……なるほど。女の子の代わりに催淫剤を飲んだと」
 事情を聞いたコビーは、どこか納得したようにうんうんと頷いた。
 呼吸を乱しつつも、ヘルメッポが話を続ける。
「……ンで、前に押収物ん中で見たことがあるから、担当班とかが抗体作ってるんじゃねーかなとは思うんだが」
「うん」
「ただこの支部にある保証は正直言って無い……それなら」
「それなら?」
 素直に相槌を打っているコビーの手を取り、自らの頬にすり寄せるように手繰り寄せてヘルメッポは言った。
「……!」
「……わかるだろ? コビー」
 ヘルメッポはそのまま視線を上げ、コビーの瞳を覗き込む。
 その懇願するような、それでいて艶かしい目つきにコビーはどきりとした。ヘルメッポは熱で顔を上気させつつ、額からは汗が滝のように流れている。
 しかし、こんなときにドキドキしている場合じゃないと気がついたコビーは平静を取り戻すように、静かに訊き返した。
「……なにが」
「好きなんだろ? おれのこと」
 その言葉にコビーは驚いて、瞳孔を丸くした。
 一体その「好き」は友達としてなのか、仲間としてなのか、それとも恋人的な意味なのか。目の前のヘルメッポさんの状態も相まって、コビーは混乱してわけがわからなくなった。
 そんな様子をものともせずにヘルメッポはコビーの手を引き寄せて、わざとらしく、まるで誘惑をするように己の衣服のボタンを外させた。
「ふっ……んん……っ」
 布の擦れる感触と、なによりコビーの手が触れる感覚がダイレクトに伝わる。
 その感覚すら気持ちよくてヘルメッポが身体をしならせていると、明らかに動揺したようにコビーの目が泳いだ。
 しかしその誘惑とは裏腹に、コビーは真っ直ぐにヘルメッポから手を引っ込めた。
「……っ……あれ? いいのか? ……お前にとっちゃ……んっ……今のおれは好都合なんじゃねぇのか?」
 熱で顔を紅潮させたまま、ヘルメッポは煽るようにコビーを見つめる。
―――初めは目を合わせず視線を逸らしていたコビーの顔が、次第に前を向き始めた。
「ごめん、ヘルメッポさん」
 意を込めたようにコビーはベッドへと跨った。
 ベッドがギシリと音を立て、みるみるうちに足が、身体が、二人の顔が、近づいていく。
 うん、そうだ、それでいいんだ。
 ヘルメッポもまた、意を決した微睡む目でコビーの行く先を見守った。

―――しかし、次の瞬間。
「水です」
「ヴワーーーーッ!?」
 突然頭から水を被せられ、ヘルメッポは絶叫した。
 コビーの手元には、いつの間にか汲んでいた水入れの皮袋があった。
「おいっふざけんな仮にも病人だぞ! それにベッドに水ぶっかけるやつがあるか!」
 すっかり酔いが治まったヘルメッポは、髪から雫を垂らしながら抗議をする。
 コビーはヘルメッポに跨ったまま、下を向いてぼそぼそと話し始めた。
「うん……その、申し出は願ってもないし、ヘルメッポさんぼくの気持ちに気付いてたの? って驚く気持ちもあるんだけど……」
 そう言ってコビーは自分の胸に手を当てながら、続けた。
「だけど……こんな形で成就したくなかった……! ……もっとちゃんとした所で言いたかった……それだけです」
 そう答えながら、コビーは頬を染めながら顔を上げていた。
 その言葉は少し震えてはいたが、素直な気持ちと確かな意思が込められていた。

「そっか……悪かったよ」
 ヘルメッポはそう言って、コビーの頭をそっと撫でた。

「もういいんですか?」
 あれから一晩が経ち、心配していたのかコビーが再び医務室へと顔を出した。ヘルメッポは、その後無事戻ってきた医師の手にかかり回復したようだった。
「ああ、偶然解毒薬あって助かったぜ。……今日の警備はおれだからホントは休みたかったけどな」
 それを聞いて、コビーはホッと胸を撫でおろしていた。
「コビー」
 ヘルメッポは医務室のベッドから身を起こしながら、ふとコビーの名前を呼んだ。
「はい?」
「まぁそのなんだ……昨日はごめんな。お前の気持ち全然わかってなかったわ」
 少し申し訳なさそうなヘルメッポの言葉に、コビーは首を振りながら答えた。
「いやそんな……でもそれよりも、今度は自分の身体を大事にしてくださいね! 助けるためとはいえ自分で毒を飲むなんて」
「ハハ、わかったよ」
「あ!! それぜんぜんわかってない言い方! ……そんなんじゃ今度は助けませんからね!」
 むくれたように頬を膨らませ睨むコビーに、「わかったわかった」とヘルメッポは軽快に笑って彼の頭をポンポンとはたく。
 上官に対する仕草とは思えないが、そんな態度を取るヘルメッポさんが憎めなくてつい許してしまう自分もいて、コビーは少し顔を赤らめつつ目を逸らした。
「で、でもホントにダメですからねっっ! ……ヘルメッポさんに何かあったら、ぼく……どうするかわからないし」
 少しくだけた口調のまま説教をするコビーに、ヘルメッポは苦笑する。
「……どうするって? あんなおれを前にしても手ェ出さないお前が?」
「いや、それは別でしょ!」
 再び怒って顔を顰め始めたコビーに、ヘルメッポは「冗談だよ」と笑いながら答えた。
「……でもよ、おれ、お前のそういうところ、好きだぜ」
「……!!」
「変にバカ真面目なとことかよ、ひぇっひぇっひぇっ」
 そう茶化すように言うヘルメッポの腕を、ガシリと掴んでコビーは顔を上げた。
 その手は少し震え、再び顔は真っ赤に染まっている。
「ぼっ……ぼくもヘルメッポさんのことが……っ、あっいやそういう意味じゃなくて……っ! いやそういう意味もあるのかもしれないけどそういうことではなく……っ」
「あー、言いたいことを言ってるのはいいが纏めろ纏めろ」
「とにかく! 早く任務もどってくださいね!」
「へいへい」
 手を離し、顔を真っ赤にしたままで去っていくコビーを、 ヘルメッポは苦笑いを浮かべながら見送った。

 

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Melt with you
原作軸「媚薬」をテーマにした短編集です「Melt with you」モブ海賊からヘルメッポを助けに行くコビーの話「酩酊」女性を助ける際にうっかり媚薬を飲んでしまうヘルメッポの話+書き下ろし一編収録【追

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