思い出を一匙

 

 今でも思い出す、故郷の島での誕生日の記憶。
 駆け出したらすぐ島を一周してしまいそうなほどに、小さな漁村の山裾に佇む一軒家。そこに集まった村の人々の笑顔と、大きなテーブルいっぱいのご馳走。
 この年まで生き残るのが珍しいらしいこの世界では、島のみんながその日を歓迎してくれた。海で釣れた一番大きな魚を丸ごと捌いて、お皿の中心に豪快に乗せて。みんなが笑顔で口々に祝福してくれて。
 ささやかだけど、とても温かかった。泣き虫で、引っ込み思案だったぼくだけど、お父さんもお母さんも、島の人たちもそんなぼく受け入れてくれた。
 その時間はとても幸せだった。そして、それがずっと続くと思っていた。
 だけど、みんなの笑顔も、温かいご馳走も、今はもう何も見えない。

 大海賊時代を迎え、海に駆られた海賊たちによってその身を略奪された。危険な海の上でひたすらに雑用に瀕し、いつ命を散らしてもおかしくない日々。大して偉いわけでもないのに海賊ともに媚びへつらわされ、罵詈雑言を浴びせられながら過酷に働かされる。
 そんな日々に希望なんて言葉は、ない。それでもいつかは、と思っていた頃もつかの間。今ぼくはどこにいるのか、帰ってこれるのかすら、考えることが出来なかった。
 そうして二年間擦り切れていくうちに、自分が今何歳なのかすらも、わからなくなっていったんだ。

 時が経ち、悪どい海賊どもを裁くために海軍へと入隊したぼくは、新兵として海軍本部の雑用をこなす毎日を送っていた。
 その日々だっていつも忙しなくて大変だったけど、理不尽に命を脅かされることもない、ただひたむきに自分のできることをこなせばいいだけ。それだけで、十分ありがたかった。
 だけど、ふと―――その日を思い出すことがある。故郷で過ごした、ささやかで温かいその日を。
 それまでなんとも思っていなかったのに、その日が近づいてくると否応なしに思い出してしまうんだ。

「ぼく、今日誕生日だったんです」
 昼食時間にカレンダーをふと眺めて呟いた言葉に、目の前にいる同僚のヘルメッポさんが「えっ」と驚いた顔をした。
 ぼくは自嘲気味に言葉を漏らす。
「なんかいろいろあって、すっかりありがたみ薄れちゃったけど。それでも何日なのか、とか、覚えてるもんですね」
 ぼくがそう言ってへにゃりと笑うと、ヘルメッポさんは少し複雑そうな顔をしていた。
 そういえば、誕生日らしいことはもう何年もしていない。そんなこと考える暇なんてなかったとは思うのだが、プレゼントを貰ったのだって、故郷の島で誕生日を迎えた時が最後。
 もう戻れない。戻ることが出来ないこの境遇において思い出すのは正直言って辛いけど、それでも、その時間だけは確かにあったんだ。
 ヘルメッポさんはポカンとした表情を浮かべている。てっきりからかわれると思っていたのに、なんだか意外だ。
 そうしているとヘルメッポさんは徐ろに、目の前の昼食プレートの中の魚の切り身を取り出してぼくのプレートへと寄せた。
「……おらよ」
「えっ、これって……」
 戸惑った顔をすると、ヘルメッポさんは照れくさそうに目線を逸らしながらぼそぼそと言葉を零した。
「誕生日っつーのは、祝うもんだろ、普通」
 その言葉にハッとして、ぼくは思わず目頭が熱くなった。きっとヘルメッポさんにとっては誕生日は特別なもので、ぼくがそんなことを言っていたから、慈悲の思いがあったのだろう。きっとヘルメッポさんだって、それを食べたいはずなのに。普段は不器用で文句ばかり言っているけども、こういうところは本当に優しい。
 その優しさに胸が温かくなるのを感じながら、ぼくは魚を頬張った。味なんていつものと全くおんなじなハズなのに、なんだか身に染みる美味しさだ。
 それどころか塩気が染みているような気もして、ふと涙が零れる。
「お、おいっ、泣くほどじゃねェだろ」
 そう言ってヘルメッポさんは慌ててたけど、その日はなぜか、泣くのを止められなかったんだ。

「……ということがあって、ぼくはそのときは本当に本当に、とっても嬉しかったんです」
 ぼくはしみじみと話しながら昼食を口に運ぶ。その日が来るとまるで昨日のように思い出せるこの思い出は、大切な宝物のように記憶に残っている。
 しかし、目の前のヘルメッポさんは恥ずかしがるでも、呆れるわけでもなく———何故か唖然とした表情でぼくを見つめていた。
「……お前、それを今言うか」
 手元のスプーンを持ちながら、まるで苦い虫を噛み潰したような顔をしている。
 どうしてそんな顔になってしまったのか、理由は明白だ。
 今日はカレーの日だったのでメインディッシュは魚ではなかったのだが、ヘルメッポさんの手元には———カスタードの濃厚そうなデザートのプリンが鎮座していたからだ。
 ぼくはわざとらしく続ける。
「い、いやぁ別に、催促してるわけじゃなくて? 献立がたまたまそういう日だっただけで?」
「あーもうわかったから、さっさと口開けろ。……全部はやんねェぞ」
 ヘルメッポさんはそう言ってプリンと一匙掬うと、その匙をぼくの口元にずいと寄せてきた。まるで雛の餌付けのような体勢で口にプリンを含むと、口の中に濃厚な甘さが広がって思わず頬が緩んだ。
 ああは言いつつもなんやかんや変わらず優しいヘルメッポさんに思わず笑みを零すと、ヘルメッポさんはすっかり諦めたような顔をしてため息をつく。
「すっかり甘え上手になりやがって」
 そうぼやきながら口の端についたカスタードを拭き取ると、ヘルメッポさんが少し間を置いて徐ろに口を開いた。

「こんなんじゃなくて———おれも、いつか祝ってやるよ。お前の故郷みたいに。でっけェ魚釣ってさ」

 その言葉を聞いて、ぼくは目を丸くした。まさかそんな事を考えていたなんて。
「ええ? ヘルメッポさんいつも釣り30分で飽きちゃうのに?」
「うるせェ」
「釣り餌のミミズ触れないのに?」
「いやマジでうるせェな。ンなこといってっと祝ってやんねえぞ」
 ヘルメッポさんはそう悪態をつきながらも、その頬は少し赤らんでいる。そんな様子に少しおかしくて笑いが込み上げてくるけど、なんだかじんわりとあの時みたいに心が温かくなるのを感じた。
「冗談だって。うん……でも、ありがと」
 ぼくがそう言うと、ヘルメッポさんは照れくさそうに顔を逸らす。
 あの日みたぶっきらぼうな優しさが、また垣間見えたような気がした。

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