何かが起こるとしたら、きっとこんな嵐の夜なんだろう。
ふと脳裏に過る嫌な予感も、全部雨の冷たさのせいだと思っていたんだ。
轟く雷鳴とともに、海岸に厚い雲が覆いかぶさる。空から光が見えたかと思うと、あっという間に激しい雨と風がこの島全体を包み込んだ。
木々や枝葉は風に揺れ、瞬く間に蹂躙される。それは港に錨を下ろしている海軍軍艦でも例外ではない。
波は高く荒れ狂い、船底が海面に押されてグラグラと揺れ始める。横殴りに打ち付ける雨を、艦内から窓越しに眺めながら―――ヘルメッポはじっと海の先を見つめていた。
「急に荒れてきたな……波も悪いし、船の固定しっかりしとけ」
「はっ!」
部下に指示を出しながら、ヘルメッポは双眼鏡を眺めている部隊に話しかける。
「前方、何か見えるか」
「うーん……雨が酷くて全然わかりませんね……」
「貸せ」と双眼鏡を奪ってヘルメッポ自らも前方を確認すると、確かに雨風が強く視界が不明瞭で、目標の海賊船の灯り一つすら見当たらずに暗い水面が広がっているだけだった。
「くそっ、アイツでも居りゃ気配くらいはわかるのにな……」
そう言ってヘルメッポはため息をついた―――今日は別班行動なので、コビーの姿は艦内にはない。
しばらくしていると、偵察部隊の兵たちが戻ってきた。
「ヘルメッポ軍曹! 偵察部隊、只今一時帰船完了いたしました!」
気がついたヘルメッポが、労いの言葉をかける。
「おーお疲れ。一般住民の様子はどうだった」
「言うほどは慌ててませんね。この荒天にも慣れているのでしょう。……ですが」
「なんだ?」
その含みのある言葉に、ヘルメッポは思わず訊き返した。
偵察部隊の兵は、少し困ったように窓の外を見やる。
「若干……住民がよそよそしいというか」
「そりゃ当たり前だろ」
「いえ、そうではなく……何か、隠しているような……」
「何か、って何だ?」
「……わかりませんが」
「なんだそりゃ。まあいい、引き続き警戒態勢だ。荒れるから見張りはしっかり……」
ヘルメッポがそう言いかけたところで、突然、艦の扉をドンドンと強く打ち付ける音が響いた。
「開けてください! 海兵さん! 助けてください!!」
同時に悲鳴混じりの声が扉越しに聞こえてきて、海兵達に緊張が走った。その声からはただ事ではない様子が窺える。
「どうしました」
ヘルメッポが真っ先に扉を開けると、住民と思わしき青年が泥まみれの格好で転がり込んできた。
「助けてください……!! 助けて……!」
「落ち着いて、どうなさいました」
思わずその肩を支えてヘルメッポが声をかけると、青年はガタガタ震えながら顔をあげた。
「家内がこの嵐で足を滑らせ、崖の下へ!! もう頼れる人もいなくて……助けてください!!」
青年はそう叫ぶと、その場に泣き崩れた。
「軍曹……」
部下の海兵達は心配そうにヘルメッポの方を向く。
「わかった、おれが行く。お前らは引き続き待機しとけ。状況次第で必要だったら増援の要請をする」
「はい!」
ヘルメッポは泣き崩れた青年の肩に優しく手を置いた。
「安心してください。奥さんは必ず助けます」
◇
激しい嵐は未だ猛威を振るい、森の木々は唸る風に蹂躙され枝葉を散らしている。
ぬかるんで滑りそうな土を踏みしめながら、ヘルメッポは住民の男とともに事件があったと言われている崖の場所へと向かっていた。
雨のせいで視界が悪く、整備もされていない道のため歩くことすらままならない。濡れた木の根などに足を取られたら、逆にこちらが森の淵へと足を踏み外してしまいそうなほどに険しい道であったが、一歩、また一歩ずつ着実に足を進めていった。
―――そのはずなのだが、いつまで経っても彼の言う現場へとたどり着けない。
結構な距離を歩いたと思うのだが、森がさらに深くなるばかりで一向に人の気配が見当たらず、それどころかまるで自らを飲み込んでしまいそうなほどに鬱蒼とした闇が広がり始めている。
「随分山奥へ来ましたけれども……本当にここで合っているんですか?」
思わずヘルメッポが青年へと尋ねると、震える声で「ええ」と頷いた。
それ以上何も言うことが出来ずに黙って歩いていたが―――ヘルメッポは段々と目の前の青年の様子がおかしいことに気付き始めていた。
艦で助けを求めていたときよりかは幾分か落ち着いた様子ではあるものの、その身体は小刻みに震え、言葉の歯切れも悪い。
そのうち青年はパタリと足を止め、ボーッとしたかのようにある一点を見つめて立ち尽くした。
「あの……急がなくていいんですか」
不審に思ったヘルメッポが声をかけると、青年ははっとして顔を上げた。
「あ、いえ……もう着きます。ここのあたりです」
「え、でも……それらしいところなんてどこにもないですよ? 本当にここなんですか?」
ヘルメッポはとうとう痺れを切らして、再び青年へと問いかけた。
「ええ、合ってますよ」
青年はそういいながら、ヘルメッポのほうを振り返った。
「……これでぼく達は、幸せになるんです」
「……!?」
そう言って青年はヘルメッポの更に後方の―――光らせた無数の刃を見やりながら、不敵にニヤリと微笑んでいた。
◇
どれくらい意識を失っただろうか。
窓に打ち付ける雨と風の音が、やけに遠くから聞こえてくる。
ヘルメッポがきつく閉じた瞼を開けると、あたりは真っ暗だった。どこかの船の倉庫のようで、埃とカビの臭いが鼻を突く。
朦朧とした意識を手繰り寄せながら、ヘルメッポは自分の身におきた状況を少しずつ思い出していた。
助けを乞いていた住民の青年は、この海域の海賊とグルだったのだ。おそらくは金を渡されて協力をしていたのだろう。崖から落ちたと嘘を吐かれ、我々は完全に嵌められた形になったのだ。
そして、森に隠れていた海賊たちが待ってましたとばかりに一斉に襲いかかってきた。思わず刀を取り出し応戦したのだが、―――多勢に無勢。たった一人の抵抗などむなしいもので、背後から強い力で昏倒させられ、今に至るということだ。
逃げなくては。ヘルメッポは本能的にそう思った。
だけども、想像通り手足は縄で拘束されており、動こうにも身体は言うことを利かない。
ヘルメッポが必死に身を捩りながら体の拘束を解こうとしていると、ギイ、と古ぼけた扉が開いて、眩しい光が差し込んできた。
「念のためと盗んだ海楼石のヤツを持ってきたが、どうやらハズレのようだなぁ」
チャリ、と手錠を手元でくゆらせながら、海賊の親玉とおぼしき大柄な男がゆったりとこちらに歩み寄ってきた。
「なん……っ」
必死に言葉を発し抵抗するが、男はフンと鼻を鳴らして不敵に笑う。
「まあいい、大事なのは情報を引き出せるかだ」
「なんの、話だ」
「とぼけるなよ」
男はそう言いながらヘルメッポの前髪を掴み、ぐいと引き上げた。
「んぐっ……!」
「おめえら海軍の海兵だろ? 持っている情報を洗いざらい吐いてもらうぜ」
「……貴様らに話すことなどない……っ」
ヘルメッポは必死に男を睨みつけながらそう言った。だが男はそんなヘルメッポの様子を面白そうに笑うだけで、一切動じることはない。
「……ま、だろうと思ったよ。だったらこっちにも策があんだよ」
男はそう言ってニヤリと笑みを浮かべ、自らの腰元から革袋を取り出した。
中には何かの液体が入っており、チャプチャプと小気味よい音を立てながら揺れている。
「おらっ、口開けよ」
男はそう言いながら、ヘルメッポの顎を掴んで強引に飲ませようとする。
「んなん、誰が……ごほっ、がはっ……!!」
ヘルメッポは眉を顰め、無理やり飲まされたその液体を飲み込まないように必死で吐き出した。
「おっと吐き出すなよ。せっかくの特注品なんだからよ」
残念そうに男がそう言うと、再び飲ませようとヘルメッポの口元へと近づける。
「やめろ!!」
ヘルメッポはそう叫びながら、男に向かって額を勢いよくぶつけた。
「がっ!」
男は情けない声を上げながら、頭を打たれて一瞬仰け反る。その少し怯んだ隙を狙い、ぐるりと体を床に転がしながら距離を取った。その反動を使って靴を無理矢理に脱ぎ、足の縄から抜け出して立ち上がり、そしてヘルメッポは―――一目散に部屋の外へと逃げ出した。
「チッ、くそっ!」
男の声が遠くで聞こえる。
なんでもいい、この場を離れなければ。ヘルメッポは無我夢中で床を蹴って前へと進んだ。
倉庫を抜け、力任せに外の扉へと体当たりをかます。するとバァンと大きな音を立てて扉が開き、頭上の雨が勢いよくヘルメッポに降りかかった。
外だ、と歓喜したのはつかの間。その目の前に見えていたのは―――雨風に晒される甲板と、その下で飛沫を上げ激しく波打つ水面だった。
辺りを見渡しても陸地は見当たらない。この船はもう、島を離れて出港していたのだ。
「あ……そん、な……」
絶望に打ちひしがれ目を見開くヘルメッポの背後に、海賊の男が立つ。
「海に逃げようだなんて考えないこった」
そう言い男はぐいと手の縄を引き寄せ、ヘルメッポを引き戻そうとする。
ヘルメッポは男の手から離れようと必死に抵抗をするが、ドクン、という心臓の音とともに自らの身体の力が抜けていることに気が付いた。
「な……!?」
驚いたのも束の間―――グシャ、という音を立てて床板が軋む。ヘルメッポは男の力でそのままいとも簡単に、甲板の床に身体を叩きつけられていた。
「フハハ! 傑作だなぁ!」
男は高笑いをする。
「今のお前は手足の自由も効かぬ赤子同然だ。このまま海に入ったって海王類のエサになるのは時間の問題なんだぜ?」
「なん、で……さっき吐いたはずじゃ……」
なんとか身体を起こしながら、ヘルメッポは男の方を睨みつける。
「飲ませたのはあんときだけだと思ったか? 残念だったなぁ。お前が寝てる隙にしっかりと仕込んでおいたんだぜ」
そう言うと男はヘルメッポが抵抗しないように仰向けに転がし、馬乗りになる。
「ぐっ……」
「だから大人しくしとけって、なぁ? ……生意気な海兵ちゃんにはお仕置きしなくてはなぁ」
男は舌なめずりをしながら、カチャリと音を立ててヘルメッポのサングラスを外した。
顔面に雨が容赦なく降り注ぎ、その雨粒がヘルメッポの濡れた肌を刺す。それでも身体の内側から沸騰するような熱が、少しずつ意識を侵し始めた。
「はぁ……っ、あ……」
ヘルメッポは抵抗できないまま、紅潮した顔を歪めて荒い息を吐いている。
「ッハァ、いい顔になってきたじゃねえか」
男はそう言いながらヘルメッポの服に手をかけ、たくしあげていく。雨に打たれてずぶ濡れになった服が男の手を滑らせる。露わになった肌に指を這わせると、びくりと腰が跳ね上がった。
「あ……っ、何、すんだ……っ」
「だからお仕置きだって言ってんだろ? へへ、せっかくなら楽しませてもらおうじゃねえか」
「ば……このやろ、う……っ」
そう言い睨みつけるヘルメッポの抵抗もむなしく、男は続ける。
「あ……っ!」
身体の自由は利かずとも、触れられる度に小さく声が漏れてしまう。その反応に気を良くした男は、さらにヘルメッポの身体に触れていく。
「こりゃあ効果絶大だなぁ……ん?」
男はなにかに気がついたように這わせる手を止めた。
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