曹長と少佐のあれやそれ

 

 非常事態だ。先刻、遠征任務に出かけていたコビーが何らかの事件に巻き込まれて医務室に運ばれたらしい。らしいというのも直接は見ていないからで、報告書や又聞きでしか状況を把握していない。
 致命傷はない。どころか戦闘の形跡すらないと聞いた。他の人曰く、何か都合の悪い取引を見たから海賊どもに口封じをされたとも聞かされたが今はそんなことはどうでもいい。例の件からもう二度と相棒を失いたくないおれは任務を部下に任せ、艦をスッ飛ばして本部へと帰還した。
「コビー!」
 逸る気持ちを抑えつつも、ドアノブに込めた力が強くなる。勢いのままベッドへと駆け込むと、白いシーツに埋もれるように横たわっているコビーの姿があった。
「ヘルメッポさん……?」
 コビーはその声に気が付いたのか、薄目を開けてこちらを向いた。
 そのか細い呼びかけに、胸の奥がぐらりと揺れる。ああ、よかった。それと同時に全身に走る安堵に、膝が抜けそうになる。
「……なんだよ元気じゃねェか! ったくよー!」
 冗談めかしながらベッドの横に腰を下ろす。安心感に耐えきれずそのままヘナヘナと座り込みそうになるがグッと堪えた。なんとか平静を保とうとするが、内心ではまだ心臓がバクバクしている。
 その一方でコビーはおれの姿を見て不思議そうに首を傾げている。まるで何が起こったのかわからないような素振りだ。
「ピンピンしてんならおれはあっちの任務戻るぞ。ったく、心配かけやがって……」
 重い腰を上げて立ち上がりかけた瞬間、コビーの手がおれの腕を掴んだ。
「あ、あの……ヘルメッポさん……」
 なにか言いたげな表情で、無垢な瞳がこちらをじっと貫く。
 伝えたいことがあるのだろうかと黙っていると、次に発せられた言葉は思いもよらぬものだった。
「その帽子、一体何ですか? コートも……」

 まあ、要するにこういうことだ。
 都合の悪い何かを見てしまったせいで、コビーは敵の口封じによって弱体化されてしまったらしい。その弱体化能力は人体を幼い頃の肉体に戻すという能力だ。類似の報告はいくつかあるので、悪魔の実の力と断定しても問題はないだろう。
 しかしコビーは瞬時に避けたのか中途半端にしか浴びなかったので、約二年前———曹長だったときのコビーの姿になっているのだという。大佐だった時とそうそう変わらないと思っていたが心なしか体格も身長も小せェ気がするし、よく見ると童顔なところにさらに磨きがかかっていた。
 それだけだったらまあ解除の方法を探す程度で済んだところだろうが、こっからが問題で———何かイレギュラーな力が働いたのかその間の記憶諸共フッ飛んでしまったらしい。いやどんな因果関係だよ。これだから悪魔の実は厄介なんだとつくづく思う。
 とりあえず意識もあって体の方も健康であることは確かだったのでそこは安心したが、こうなると少し困ったことになった。このままではまともに任務もできねェどころか、階級に見合わない危険な仕事をさせられてしまう。おれのことを覚えていてくれていたことは嬉しく思うが、うかうかとしてはいられない。
 曹長と自称するコビーと情報のすり合わせを行った。コビーが覚えているのは何と頂上戦争すら遥か昔の出来事で、ガープ中将の艦に一緒に乗っていた時期だというのだ。
 おれはそれを聞いてえらく驚いた。マジかよ。なんなら今立っているこの場所すらどこだかわかってねェんじゃねえのか。そんな言葉を飲み込みながらも、おれは何とか状況を噛み砕いてコビーに説明を行った。
「え、ええ~。あの人相手にそんなこと言ってたんですか? 我ながら恐ろしいですね」
 そう言いながら照れるように笑う笑い方も、あの頃のコビーそっくりだった。
「まあ……あんときはマジで死んだかと思ったわ」
 吐く言葉に思わずため息が漏れる。もはや過去のことになってはいるがなんだか少し、こそばゆい。そりゃそうだ、あの頃は二人ともまだケツの青いガキだったからだ。
 なんだか妙に懐かしい気分になりつつも、コビーはそんなおれの様子をきょとんと見つめつつ再び首をかしげた。
「ところで、中将は今どちらにいるのでしょう? 本部に居るのならご報告だけでも」
 その言葉におれは一瞬ドキリとする。まあコイツの言う中将は、一人しかいない。
「……あー、まあ」
 どうしたものかと頭を掻きながら眉根を寄せる。果たして今の現状を、ありのまま伝えるべきなのかどうか。嘘なんて付いてもしょうがねェと思うが、素直に話せば少なからずコイツ自身が自責の念を感じるのは必至だろう。
 そうしている間にも無垢な瞳がこちらをじっと見つめてくる。その瞳に射られて誤魔化すことなど出来ないような雰囲気すら感じていた。
 しかし、おれは少しだけ間を置いたのちに次の言葉を吐いた。
「……今は不在だ。ま、どっかで高笑いでも浮かべてるさ」
 誤魔化すようにへらりと笑う。コビーは納得のいかないような顔をしていたが、それでも深く追及することはなく「そうですか」とだけ言って頷いていた。

 そっから、16歳のコビーとの奇妙な日常が始まった。当人は驚きこそしたが案外飲み込みは早いようで、いつのまにか海兵として日々の任務を熟している。
 もちろん事情は話した上でリハビリと銘打っての雑用任務ばかりだったが、日々の鍛錬も含めすっかり馴染んでいるようだった。たまにしか顔を出すことは出来ないが、元気でやっているようだった。
 しかし待てども記憶は戻る気配がない。ドクター曰く効果が切れればもとに戻ると聞いているのだが一向にその気配はなく、今日も無垢な瞳の前で飽きるほど話をした。
 コビーは興味津々でいろんなことを尋ねてきた。日々のこと、海の平和のこと、鍛錬のこと。特に上の階級であるおれたち周辺の事情はより一層気になるようで、目をキラキラさせながら尋ねてきた。
 次第にコビー自身、記憶を失う前の己について詳しく深堀りするようになった。多少教えたくない気持ちはあれど素直におれよりも上の大佐だと聞くと、やけに自慢げに、満足そうな笑みを浮かべていたのを覚えている。
 その仕草に微笑ましさを感じながらも、一度も追い越せたことのないその背中にほんの少しだけ悔しさも募っていた。
 皮肉だ。今のままだったらちゃんとおれのほうが上なのに。
「……ぼく、もし記憶が戻らなかったら、どうしましょう」
 ある時、コビーがぽつりと言葉を落とす。その声色は、笑顔の裏に隠しきれない影を帯びていた。
 いくら無垢で無邪気な16歳でも、多少なりとも不安な気持ちはあるようだ。
「お前が戻ってこれなかったとしても、たった二年だ。ンなんすぐ取り戻せるさ」
 おれはそうやって軽口を叩きながらも、コビーを安心させるように言葉を吐いた。
 二年。けれど、その二年には血が滲むような鍛錬も、死に物狂いの戦場も、数えきれない経験が詰まっている。そう簡単に埋まるはずがない。
 だけど、きっと隣のコイツならそんな不可能も可能に出来るんじゃないのかと、ある意味でのおれの“信頼”みてェなもんが胸に渦巻いていた。
「……ヘルメッポさんがそう言うなら、大丈夫な気がしてきました」
 コビーはふっと微笑み、安心したように肩の力を抜いた。その笑みは年相応だけれども、確かに“未来の大佐”の片鱗を宿していた。
―――しかし。
「じゃあまた、ヘルメッポさんより上の地位に立ってみせます」
 その言葉におれは思わず眉を顰めた。
……前言撤回。やっぱりムカつくわコイツ。おれは不満そうに悪態をついた。
「超えるか。てか超えさせねェし。二年のブランクがあるお前なんかにな」
「さっき取り戻せるっていったくせにぃ!」
「バーカ、それとこれとは違うんだよ」
 吐き捨てるように笑ってみせると、コビーは頬を膨らませて抗議の視線を送ってくる。その仕草すら、今は懐かしくて、愛らしかった。

 ふと、コビーの目が真剣にこちらを見上げてきた。
「……あの、ヘルメッポさん」
「ん?」
 無邪気なやりとりから一転して、コビーの声の色が変わる。妙に胸騒ぎがして、おれは背筋を伸ばした。
「二年経っても、ぼくのこと好きですか?」
 その言葉に、思わず心臓が跳ねた。何を言い出すんだとも思ったのだが、コビーの瞳は真剣そのものだった。
 そうだ、思い出した。おれは必死にあの頃の記憶を洗い出す。コビーが初めてその恋心を口にしたのも、たしかこのときだったのだ。あンときはお互いガキだったし、素直になれないときもあったけど、コビーの純な想いに打たれてすっかり惚れ込んでしまったのも事実だ。
 だからきっとずっと不安だったのだろう。おれらの関係が二年経ったらどうなってしまうのだろうかと。
―――しかし、その答えはもちろん決まっていた。
「……馬鹿。ンなん決まってんだろ」
 言わせんなよ、と言わんばかりに口を尖らせる。だがその声音は思いのほか優しく、部屋に溶けていった。
 コビーは一瞬目を丸くしたあと、じわりと頬を赤らめる。
「……よかった。やっぱり……ヘルメッポさんは、変わってないですね」
 その笑顔に、ぐらりと心臓が揺れた。名前を呼ぶ声は甘く、痺れるような感覚が襲いかかってくる。
―――あの頃と同じ純粋さ。けれど今は、それ以上におれの心臓を乱す。
「……ったく」
 たまらず視線を逸らす。しかし袖口を小さな指先がそっと掴んで、コビーがそっと顔を寄せてきて―――。

 あれから後日、その日は意外と早く訪れた。たまたま医務室を訪れていたひばり中佐から鬼電が来て思わず駆けつけたら、その頃にはコビーは記憶もろとも今の状態に戻っていたという。 
「はあ~。まさか一週間も気を失っていたなんて……任務……書類……」
 体格も身長もすっかりもとの姿に戻ったコビーは青ざめた状態でため息をついた。様子を見る限りではどうやら曹長になっていた間の一週間ほどはまたもや記憶が無いらしく、おれと話していた内容は全く覚えていないらしい。
 もちろん安堵の気持ちもあったのだが、その一方で少しだけぽっかりと穴が開いたような気持ちになっている自分もいた。
「ま、お前はよく頑張ってたよ」
「頑張ってたってなんですか?」
「今は混乱しそうだから後でじっくり話すわ」
 そう言っておれは椅子に深く腰掛ける。心臓の音だけがやけに響いて落ち着かない。
 一週間。
 ほんの短い間だったのに、あの頃のアイツはアイツなりに笑って、拗ねて、問いかけてきた。自分より少し小さい背で、純な想いをぶつけて。
 それらがなかったことになったはずなのに、まだ唇に残る感触が、未だ鮮明に蘇る。
 気づけば、口が勝手に動いていた。
「……コビー」
「はい?」
 書類の山に頭を抱えていたコビーが顔を上げる。いつものコイツの顔だ。その瞳を正面から見据えて、おれはそっと言葉を零す。
「今でもおれのこと、好きか?」
 それを聞くと、コビーは静かに答えを探すように、一瞬、視線を逸らした。書類の上に置かれた手が、ほんのわずかに震えているのが見える。
「そ……そんなん当たり前じゃないですか」
 顔を赤くして、コビーは書類の山に頭を垂れた。予想外の質問だったのか、コビーは手の震えを抑えるように書類をぎゅっと握りしめる。
「……そっか」
 その言葉に、ふと安心して息を吐いた。

「ヘルメッポさんだったら、いつだって好きな気持ちは変わらないです。ずっとこれからも」
「ふーん、そのくせェ台詞、いつまで吐けっかな」
「そ、そんなの……ずっとです! 絶対です!」

 

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