とある飲み屋の一幕

 

 本部の隅にひっそりと佇むとある歓楽街。海軍の将校も下位の兵たちもこの場では等しく客として扱われ、コートを脱いで今日も酒を飲み交わしていた。
 
「うおーい、生きてっか?」
 海軍少佐のフルボディはそう尋ねると日に焼けた手をひらひらさせて目の前の様子を伺った。彼の目の前で突っ伏しているその人物の、返答はない。まるで置物のようになってしまったその存在はブロンドの長い髪をテーブルに落としながらすっかりと顔を朱くしているが、残念ながらナンパに値する絶世の美女というわけではない、ただの男の同僚だ。
「だから飲ませすぎだって言ったんだ、ブラザー」
 フルボディの隣で同じく晩酌をしていたジャンゴがため息をついた。魂の兄弟と同義のブラザーと呼ばれたフルボディは拗ねたように唇を尖らせる。
「いやァだってコイツは勧めた分飲むしノリでついついさァ」
「罰としてお前が介抱しろよ」
「えぇー!? ……ちっ、しゃーねぇなあ」
 きっぱりと言い放たれたジャンゴの言葉にフルボディは少し不満げな表情をして、目の前の彼―――ヘルメッポの腕を掴もうとした。
 しかし、添えられた手をパシリと振り払うと、ぼんやりとした表情のままヘルメッポが顔を上げた。
「……あにいってんすか、おれぁまだまだいけますってぇ……」
「あーほらほら心意気はわかったが無茶すんな。ホラ水だ」
 微妙に呂律が回っていないヘルメッポにジャンゴが水を差し出すと、ヘルメッポは一気に飲み干してグラスを勢いよくテ―ブルに置いた。
「味しねェ」
「だから水だって。……送ってやるからもう帰ろう、な?」
 ジャンゴが諭すようにそう言うと、ヘルメッポは思わず瞳孔を丸くした。
「えぇ!? 嫌っすよォもっと居させてくださいよォ」
 ヘルメッポはそう言うと二人に対して駄々をこねた。階級ではほぼ同格なはずなのだが、この飲みの場ではそんなものは関係ない。まるで大人に対して子どもが強請るような彼の態度に、ジャンゴとフルボディは意外そうな表情で互いに顔を見合わせた。
「……珍しいな。いつもならサッサと切り上げるのに」
 ジャンゴは意表を突かれたようにぼそりと呟いた。その言葉の通り、ヘルメッポがこんなにしつこく居座ることは無かった気がする。大抵醜態を晒す前に帰るか、「誰かに呼ばれて」連れ帰らされるかのどちらかだったからだ。
 しかし今日はなんだか違う。まるで帰ってしまうのが惜しいかのようにヘルメッポは唇を尖らせて腕を揺らしている。指揮や戦力で頼りになる彼も、今やただの22歳の好青年だ。
 そう思いながらジャンゴが呆けている一方で―――フルボディはやけに意気揚々な様子で席を立ち、ヘルメッポの隣へと腰掛けてグイと肩を組んだ。
「しょーーがねェなあ!! お兄さんが話聞いてやるか。どした? フラれたか?」
 その言葉にジャンゴが呆れたようにため息を漏らす。
「またお前は色恋沙汰ばっか……」
「バカお前、こういうのは相場決まってるもんよ」
 そう言うとフルボディはニヤニヤと笑みを浮かべながらヘルメッポの動向を伺った。突然肩を抱かれたにもかかわらずヘルメッポは驚くこともせず、グラスを置くとぼーっと目を据わらせたままフルボディを眺めて口を開いた。
「……フラれてはいねェけど、最近全然会えてねェから寂しくて」
 その言葉に、ジャンゴとフルボディは再び顔を見合わせた。
「ほーら言ったじゃねェか。んじゃあお兄さんが慰めてやろうか?」
 フルボディは自慢げにそう言うと大げさなほどに唇を突き出した。プレイボーイさながらの仕草にジャンゴは思わず静止するように言葉を吐く。
「やめろやめろ、見苦しいわ」
「んー……」
 ヘルメッポは小さく唸りながら考えるような仕草を見せ、少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「まあそれはしょうがねェってか、しょうがねェんすけど、やっぱ会ってないと不安になるっていうか……」
 それを聞くとフルボディは呆れたように声を荒げる。
「女々しいなァ、そんなん男らしくどーんと構えとけよ」
「男、らしく、ね。ハハ……」
 そう言うとヘルメッポは乾いた笑いを溢した。何があったのかはわからないが、まあ今の立ち位置だとそういう悩みを抱えるのは仕方ないか。とジャンゴはひとり相槌を打ちながら目の前の酒を煽った。

 そうしていると和やかな空気を引き裂くように、テーブルの上にゴトンと樽のジョッキが置かれた。
 思わずそちらの方を向くと、酒場のウエイトレスである黒髪の女性が冷ややかな目つきで三人のほうを見つめている。
「そろそろ閉めるんで、これ飲んだらさっさと帰ってくださいね」
 ウエイトレスの女はそれだけ言うと、冷たい目線を投げかけて踵を返した。店員らしからぬ愛想のない態度に面くらうかと思いきや、フルボディは彼女が帰ったあとでにこやかな笑みを浮かべてヘルメッポへと耳打ちする。
「おっ、優しくてカワイイ子もいいけど、ああいう素っ気ない感じの子もいいよなァ、声掛けてみっか?」
「おいおい、いい加減に」
「ああー……いいっスよね」
 軟派なフルボディを窘めていたはずなのに、ヘルメッポからも感嘆と同意の声が聞こえてジャンゴは思わず驚いた。
「お、お前もそう思うか」
 フルボディは嬉しそうにヘルメッポの肩を抱くと、上機嫌そうに酒を注いでやった。しかし一方のヘルメッポはそれを見つつもお構いなしで言葉を続けた。
「アイツはいつもは優しいけど、物足りないからたまには冷たくしてほしい」
「いやクソ惚気じゃねェか」
 突っ込むフルボディをよそにヘルメッポは目の前の酒を更に煽っている。
「労わってくれるのは嬉しいけど、ホントは全然ぞんざいに扱って欲しいし激しくして欲しい」
「なんか凄いこと言ってるが大丈夫か?」
 ジャンゴが引き気味に尋ねたが、一方のフルボディは面白いものを見たかのように目を輝かせて豪快に笑った。
「ッハハ、いいこと聞いちまったぜ。飲みたりねェなら二軒目いっとくか?」
「おい」
「んだよ、……わかったよ」
 ジャンゴが制止の声を掛けると、フルボディは唇を尖らせながら小さく舌打ちした。
 当のヘルメッポは頬を朱く染めながら段々と目が虚ろになってきた。しかし口は止まらず愚痴という名の惚気が垂れ流されていく。
「フルボディ少佐ァ、気持ちは嬉しいんスけどぉ、アイツだからこそ良いって言うか、上官が故に逆らえない命令とかそういうのみたいなのをされてガン攻めされたいって言うかァ」
「うん、もう黙っとこうか。……おいブラザー、お前のせいだぞ」
 ジャンゴはやれやれといった具合でヘルメッポの頭をポンと叩くと、そのままフルボディの方を向いてサングラス越しにじっとりとした目線を投げかけた。
「ええー? 面白ェし、なんかもうちょっと泳がしたらもっとヤベーの聞けそうだけどなぁ」
「こんなんでコイツと今後気まずくなったら元も子もないぞ……まあもう手遅れかもしれんが」
 再び突っ伏してすっかり頭を垂れてしまったヘルメッポを一瞥し、ジャンゴは深いため息をついた。

「じゃあな、また例のとこで合流な」
 すっかり凭れてしまったヘルメッポを肩で抱えながらフルボディは声をかけた。ジャンゴも軽く手を振って応えると、二人は海軍宿舎のある方向へと姿を消した。
(しかし……上官、なあ)
 その背中を見送りながらもジャンゴは先ほどのヘルメッポの言葉を思い返す。厳しく責め立ててほしい、なんてとんだ性癖なのは間違いないのだが、ヘルメッポの上官にあたる人物など数えるほどしか居ない。そうしてその中でも親しい仲の上官と言ったら……。ジャンゴの頭の中である人物がぼんやりと輪郭を帯びる。
「……まさかな」
 ジャンゴはひとりそう呟くと、再び夜の街へと足を進めた。

 

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