金井淵君が家に来た。
「今からそっちいくから」とだけ書かれた簡素な文面が、つい先程携帯越しに送られてきた。
そのメッセージに了承の返信を打ちながら、これは激レアだ。SSレアだ。と思った。
自分で言うのもなんだけど、遊びに行きたかったらいつもボクからお誘いをしてるばかりで、向こうから誘ってくることなんて、まぁないわけで。
何かあったのかと心配したけれど、「何でもない。気が向いただけだ」とぶっきらぼうに返信をする金井淵君はいつも通りの金井淵君だった。
ふと時計を確認する。時刻は0時を回ったところだ。まぁ、概ね終電でも逃してボクの家が近所だからって理由だろうなって思うけども、それでもなんだかどこか浮足立っている自分がいた。
こんな夜なのに掃除なんて始めちゃって、早く来ないかなって玄関の方ばかりチラチラ眺めちゃって。
まるで恋する乙女みたいだなぁ、なんて思ったりして。そんな自分が少しおかしかった。
チャイムが鳴り、玄関のドアを開けた瞬間、ボクは呆気にとられてしまった。
「えっ……?」
金井淵君は、身なりの良さそうなスーツを着て立っていた。前髪を綺麗にワックスでまとめ、丁寧にアイロンが入ってそうなジャケットを羽織っている。胸ポケットのハンカチと桜のピンがキラリと眩しい。
お酒が入っているのか若干顔が赤いような気もするが、表情はいつものように無愛想なままだ。
その姿に少し見惚れてしまい、ボクは言葉を失う。
「……夢?」
「何言ってんだ。早く上げろ」
◇◇◇
「友達の結婚式だったんですねー」
「……あぁ」
受け取ったジャケットをハンガーにかけながらそう尋ねると、ソファに深く腰掛けた金井淵君は小さく相槌を打った。
「それだったら別にここに来なくても、積もる話はあるでしょうに」
「咲良、知ってる奴ら全員呼んで二次会三次会やりやがってな。オレとしては逆に大人数すぎてやりにくいんだよ」
「あー、なんかやりそうですね」
「ひとまず二次までやったら十分だろ」
そう言いながら、金井淵君はネクタイを緩めつつ深く息を吐いた。気心知れた相手とはいえ、やはり長時間の拘束は疲れたのだろうか。
コップに麦茶を注いであげると、金井淵君は礼を言いそれを一気に飲み干した。よほど喉が渇いていたらしい。
なんだかその仕草もいつも見る表情とは新鮮な気がして、心が踊った。
「あ、そうだ」
金井淵君は唐突に隣においてある自分の荷物を漁り、その中の白い紙袋をテーブルの上においた。
袋を覗き込むと、甘い匂いがする。パッケージには木の年輪のようなイラストが描かれている。
「これは……バウムクーヘン?」
「そ、引き出物で一人一ホールとかマジでバカのやることだよな。今頃壬たちも消費に困ってると思うし、お前が食ってくれ」
「えーっ、まぁ、金井淵君の頼みなら食べますけど……」
時刻は深夜の一時を回ろうとしていたところだった。深夜にこういうものを食べるのは良くない気がするが、せっかく貰ったものだから仕方がない。
流石に独り占めは気が引けるので「金井淵君も食べましょうよ」と誘うと、あまり得意じゃないと言いながらも「まあ、一口だけなら……」と渋々承諾していたのでフォークを二人分用意した。
中身を崩さないように慎重にバウムクーヘンの箱を開けると、バターの香りが濃厚そうなバウムクーヘンが姿を表したのだが、その見た目を見てボクも金井淵君も驚愕してしまった。
その上には『おめでとう』というメッセージとともに、金井淵君の友人の咲良君とその相手の花嫁さんの二人のツーショットがプリントされたチョコレートがでかでかと乗っていた。
「うわぁ……」
「……食べます?」
「いや、さすがに馴染みの顔は食えねぇよ」
そういって金井淵君は苦笑いを浮かべて、チョコだけを外してボクのほうに取り分けた。
「でも花嫁さんすごい綺麗ですね」
「あー、なんか、病院で出会ったとかなんとか」
「へぇー。それはまたドラマチックな出会い方ですね」
「……」
金井淵君は一瞬何かを考え込むようにして黙っていたが、「まあ、良かったよ」と適当に返事をしただけだった。
お互いそのまま黙り込み、無言の時間が流れる。ボクは言うことが何も思いつかず、そっとバウムクーヘンを口に運んだ。
じんわりと染み渡る甘みに、ほのかに苦い味がしたような気がした。
◇◇◇
「寂しかったんですか?」
不意にその言葉が口からこぼれ出て、自分でも驚いた。それを聞いた金井淵君も目を丸くしている。
「何で」
「いや……ここ来る前からずっと、ボクんとこ来たのは何でだろうなーって考えて……まさかこれ渡すためだけじゃないだろうしって思ってて……」
フォークで飾りのチョコレートを指さしながら、ボクは考え込むようにして答えた。
「めでたいことだけど、なんか思うところあったのかなーって……」
金井淵君はそれを聞いて少し目線をそらし、少し硬くなったバウムクーヘンを再び口にしながら言葉を吐いた。
「……別に、アイツが何しようとなーんも変わんねぇ。アイツはアイツだ。ただ……」
「……」
「……なんだか今日は一人で帰りたくなかった。そんだけだ」
そう言う金井淵君の表情は、確かに寂しそうだった。
やっぱりそうだったんだと思う反面、そういうときに自分を頼りにしてくれていることに対してなんだか心臓が跳ねるほど嬉しかった。
ボクは金井淵君が座っているソファの隣に座り、同じように深く腰掛けた。
「寂しいなら、今日はこのまま泊まってってもいいですよ。まぁ、もとよりそのつもりでしょうが」
そういって金井淵君に微笑みかけると、彼の表情が少し和らいだ気がした。
今日の日だけじゃなく、明日も明後日も頼ってほしいな、と思うけども。
この夜だけでも、少しでも寄り添えればそれでいいかな。
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